注意......
続きものだけど、別に前を読まなくても読めるかも。と書いたけど、嘘かも。これは絶対、「風に旋律」を読んでから読むべきだ!と、強く思う。
「風に旋律」の相方「虎の系譜」を書き始めることに。ただしこれ、終わる気はしないwww
虎の系譜1
誰かの元に嫁に行くことになったと知った時、ウジは勝手に、幸せになんて、なれないだろうな......と思っていた。
でもどこに行ったとしても自分の側にはいつだって音楽があるはずで。
誰にも愛されなかったとしても、歌えれば、奏でられれば問題ない。1人で生きていけるだろうし、困ったことがあっても乗り切れる。もしも、もしも相手の男が同性の嫁に手をあげるような男だったとしても、殴られるのは一度だけだろう。
それ以上は許さない。
何度も何度も、こう言われたらこう答えて。こんなことをされたらやり返して。冷たくされたって口を聞いてくれなくたって他人行儀だって、自分には音楽ある。いざとなったら歌えばいい。
思った以上に長かった旅の間中、そんなことばかりを考えていた。
時々は「どこまで行くんだい」と聞かれることもあった。
ウジのその姿が「古い花嫁衣裳を着てるんだね」と、気づく人もいた。
それに時々は「歌えるのかい?」と聞いてくる人もいて、きっとそんな人たちは古い昔には同じ系譜の人たちだったのかもしれないと思う。
ウジは別に黙ってそれらをやり過ごしたりはしない。頷いたり、時々は声だって発するけれど、会話はそれ以上発展はしなかった。
誰かの嫁になる。ということは、そういうことだから。
例え理不尽な態度を取られようと、殴られようと、一度嫁に行くと決めたからには、一度は嫁がねばならない。それがウジの知る結婚だったから。
あと1日で着くという。
覚悟も決めて、何度も何度も考えて、全部大丈夫って落ち着いたはずなのに、ウジの手はいつもよりも白かったかもしれない。気づけば震えそうになるのをやり過ごすために手をギュッと握りすぎたからかも。それとも、血の気が引きすぎて手すら白くなってしまったのかも。
馬車の前には、人がたくさんいた。ザワザワしていたのに、花嫁として降り立ったのがウジだとすると、そのザワツキはピタリと止まった。
「男か。いや小さいから女じゃないか」
誰ともなく言う言葉が聞こえてきて、花嫁が男ってことすら誰も知らなかった事実を知った。
結婚相手が誰とも判らない中で、1人の男が前に押し出されるようにして出てきた。それがウジがはじめて会うホシだった。
誰もがウジの存在にポカンとしていて、ウジの異国風の青い服にも気づかなかった。多分ウジが歌えることにも、言わなきゃ気づかないだろう。まぁ言ったとしても、ただ歌えると思われるだけかもしれないけれど。
「歌えます」
だからウジは歌った。
挨拶代わりの歌でもあったけど、きっと歌は遠いウジの母と父の場所までも届いているはずで。ひとまずは無事に着いたんだと知るはずだった。
虎の系譜2
「あぁ、お前の嫁さんは、風に旋律をのせる人だねぇ」
ハルモニがそう言った。無表情の下で、それでもウジはちょっとふふんと思ったというのに、ホシはまだポカンとしたままだった。
花婿はちょっとバカかもしれない......と、ちょっと思う。でもバカならバカでいい。その方が扱いやすいかもしれないから。
ウジがそんなことを思ってる間にも、「めでたいめでたい」となんでかみなが言い出して、そのまま結婚式へと突入してしまった。
花嫁が男でも、大丈夫らしかったから、村八分になる心配も、冷たい視線にさらされる不安も早々に消えた。
ホシには姉がいて、その旦那がいて、子どもたちがいて。だからホシの花嫁が男でも何ら問題はないと、ホシの両親が言う。
花婿と花嫁は一番良い席に座らせて貰えるという。
何をどう考えてそこが一番良い席なのかが判らないまま、ただの広場みたいな場所ではじまった結婚祝いは、あちこちで皆が酒を飲んで食べて笑って踊って歌ってって、ただ騒ぐだけだった。
おめでとうっていう言葉を口にしながら、次から次へと人が2人の前にやって来る。名乗られるけど、覚える自信はないから早々に諦めた。大抵の人がホシに酒を注ぎ、それから会釈しかしない愛想無しなウジのことをそれでも褒めてくれて、ホシのことはなんでか貶して、それでもコイツを頼むなと口にした。
それが結婚式というやつなのかもしれないし、ここの仕来たりなのかもしれない。
せっかくの結婚式なんだし、求められれば楽しい音楽だって奏でられたけど、誰からも求められなかった。自分の結婚式で歌うのは無しなのかもしれない。
いやさっき歌ってみせた曲が朗々とした雄大なものだったからなのかも。派手なのだって明るいのだって踊りやすいのだって、ウジはなんだって奏でられるってのに。
結構真剣に、どのタイミングで楽しい曲を奏でようかとウジは考えていたのに、そのタイミングを逸したと気づいたのは、新郎新婦はそろそろって言われて広場を追われたから。ホシは1人で立ち上がることもできずに、誰かの手を借りていた。
「初夜だってのに申し訳ない」
誰かが言った。2人に用意された天幕は、ちっぽけに見えたのに中に入ってみれば広いし案外キレイだった。
見れば連れてこられたままの状態で、ホシは寝てた。完璧に飲み過ぎだろう。
怒ればいいのか、それともホッとすればいいのか。こんな時は泣くのか。それとも笑うのか。
せっかくの初夜なのに......って思えばいいのか。
ウジの頭の中も結構とっ散らかっていて、全然眠れそうになかった。
でも起きたら朝だったけど......。
虎の系譜3
ホシが起きたことにも気づいてなかった。
起きたのは、頬を突かれたから。
思った以上にパチリと目が覚めた。
親以外と一緒に眠ったこともない。でも今日から夫婦2人で暮らすはずで。
思った以上にホシは悪くない。そう思えたのは、「ごめん。飲み過ぎた」って言ったから。
悪いと思っても謝ることができる人間は少ない。なのにホシは素直に謝って、ちゃんと頭だって下げた。それに謝った理由も教えてくれた。
「ごめん。飲み過ぎた」
「祝い酒だし、しょうがない」
「いやでも、きっとみんな、気を使って酒を飲ませたんだと思う。普通なら結婚式にあそこまで飲ませることはないから」
「どんな気を使ったんだ?」
「俺が初夜で失敗すると思われたんだよ」
「..................」
なるほど。なるほど。なるほど。
思わず黙ってしまったのは、確かに失敗しそうだと思えたから。でもそれは自分も一緒かもしれないけど。だって自分だって何も知らないから。
それならそれなら、失敗したっていいじゃないか。2人でできるように、なっていけばいいじゃないか。
そう言おうとしたのに、ホシの方が口にしたのは先だった。
「ちゃんと勉強してくるから、ちょっと待ってて」
「わかった」とは言ったものの、そういうことの勉強は、どこで教えてくれるものなのか、ちょっとだけ考えた。
歌だって、難しいものは日にちも時間もかかる。ときには口伝だと言って、通い詰めなきゃいけないものもある。子どもの頃にはそれこそ、手とり足とり教えてもらったものだった。
「勉強はいいけど、練習はダメだからな」
そう言えばホシは頷いた。
それから2人して改めて名乗りあった。でもまだ本当の名前は教えなかったけど......。
虎の系譜4
ウジにできた新しい家族は、一言で言えば賑やかだった。
ホシの姉も、ホシの母も、ホシと似てると言えば良く似てた。
しゃべりながら楽しそうに笑うところとか、自分が言った言葉に自分が一番良く笑うところとか。誇張するのが得意で、でもそれだってバレバレなところとか。自分の家族が、本当に大好きなところとか。そんな家族の中に当然のようにウジも含まれていると本気で思ってるところとか。
「別に女だからとか、男だからとかはないんだけど、でもうちの嫁にはね、まぁ娘にもだけどね、絶対言うんだけどね」
ホシの母はそう言って、今から特別なことを言いますって感じの雰囲気を出す。
だからウジだってちゃんと聞こうと姿勢を正す。
「ナマケモノになっちゃダメだけど、旦那より働くのはもってのほかだからね」
真剣に聞いていたけれど、意味はまったく理解できなかった。でもしっかり働くのなら、もっと旦那を働かせなきゃいけないらしい。とにかく自分よりも旦那の方が働いていなきゃいけなくて、それができてこそ、良い嫁ってことらしい。
「自分で育てといてなんだけど、あの子はお買い得だと思うのよ。時々バカっぽいけど素直だし、嫁は大切にすると思うし、おだてなくても働いて来いって言えば働きそうだし。せっかく運良くそんな感じに育ったのに、自分が男の嫁だからって、あれこれ自分が全部頑張ったり、働いて尽くしたり、色々我慢したりなんかしちゃ、ダメよってことよ」
きっとホシのことをもっとこき使えと言いつつも、ウジに無理はするなと言ってくれたのかもしれない。
「そうそう。あの子にボール投げて取ってこいとか言ったって、全然取ってくると思うから。今度やってみて」
そう言ったのはホシの姉だった。
それじゃぁまるで犬のようだ......とは思ったけれど、ウジはひとまず2人に対して、真剣な顔で頷いた。
「うちの嫁は」ってホシの母や父が言うたびに、耳を澄ますこともすぐに無くなった。
いつだって「よくできる」とか「飯だけは上手く炊く」とか「可愛い」とか「小さい」とか。色んな言葉がその後ろにはついたけど、どれ1つとっても嫌じゃなかったから......。
普通嫁は、旦那の実家には気を使い、旦那の親とは極力距離を開けて暮らしたいと思い、それでも一緒に過ごさなきゃいけない時にはグッと我慢しなきゃいけないと聞いたことがある。
でも全然そうじゃなかった。
それはウジが男の嫁だからなのか、ホシの家族が凄いのか。まだしばらくは判らないままなのか、このままずっと判らないままなのか。それすらも判らなかった。
虎の系譜5
もう少ししたら、ホシは放牧に出るという。
出たらしばらくは帰ってこないらしい。
普通は嫁たちは、残って家を守る。子どもがいれば子育てがあるし、いなかったとしても、連れて行かない動物たちの世話もあるし、年寄り以外の男手がなくなるから、普段は男がやるような力仕事だってある。
残ることも正直考えた。自分は小さくても男だから、役立つだろうとも思えたから。
でも当然のようにホシの姉は、「ウジくんは一緒に行くんでしょ?」と言ってくれて、それが思った以上に自分の中でもしっくり来た。
長く歩くというけれど、それはウジにとって苦ではない。
動物たちの面倒だって、ホシほどではないけれど、多分見れるだろう。
風や星や音を捉えるのが人より得意な自分は、きっと役にしかたたない。
なによりホシは喜んでくれそうで、そして自分もきっと楽しい。
旅の準備なんて簡単で、何も特別なものなんてないと思ってたのに、ホシの母親と姉がウジに用意してくれたのはホシと同じ服だった。
「大丈夫。俺がいない間も、飯を炊いて好きなだけ食えばいい」
そう言ってたホシが、自分の横に並んだ旅支度のすんだウジを見て、『ほえ?』みたいな顔をしていたけれど、反対もしなかった。
一緒に歩き出してもしばらくは、時々ウジのことを見てきてやっぱり『ほえ?』みたいな顔をしていたけれど、それにも慣れてくるとなんでか次はニヤニヤしだした。きっと一緒に旅に出たことを、喜んでいるんだろう。判りやすいと言えば判りやすい。
遠くの空を指さして、「俺らが行くのはあっち」と、大雑把な情報をくれたりする。
子ヤギとか子ウシとか子象とか子猫とか。とりあえず「子」がついて、生まれたてとかでなければ、なんだって基本は引き受けると言っていたけれど、さすがに「象」なんて物語でしか聞いたことないし、「猫」はついては来ないだろう。
でもホシは楽しそうに仕事のはなしを教えてくれた。
子どもたちははぐれないように。大人たちは遠くに行きすぎないように。危険なものがないか目を光らせながら、でも大抵は何も起こらないからただ歩いてるだけだけど。
素直なのか、ちょっとバカなのか。でもホシは楽しそうに教えてくれる。
「ほら、あそこ。あの丘の向こう側に、黄色の草がたくさんあるから」
まぁ教えてくれる情報は、どこに美味しいエサとなる草があるか......って情報ばかりで、キレイな花が咲いているとか、キレイな景色が見られるとか。2人きりになれる特別な場所とか。そういうのは一切なかった。まぁそれもホシらしいけど。
虎の系譜6
その異変に気づいたのは、多分ウジが一番最初だろう。
色んなことを風や、風に乗った音がウジのもとへと運んでくる。
誰かがどこかで慄けば空気が震えて、その震えがウジにまで届くから。
ざわざわとした少し不快な風の音に、ウジはそっと動き出した。ホシはまだ気づいてない。一瞬声をかけようかと思ったけれど、止めておいた。
それはまだ遠い場所での出来事で、自分たちのところまで影響を及ぼしたりしないかもしれないから。
きっとウジが本気で歌って見せてもホシは変わらないだろう。まだ夫婦をはじめたばかりだけれど、それはもう判ってた。
それでもホシやホシの家族たちの暮らしを見ていれば、ウジの持つ力なんて必要とは思えなくて、それならただただ白飯が好きな男の嫁とだけ思われておこうと思ったから。
そしてウジの次に気づいたのは、気配に敏感な動物たちだった。
遠くで誰かが威嚇するような音を出したのか、向かう方向を制御しようとしてるのかは判らない。
動物たちが少しずつ何かを感じ取り、見えない秩序の中でゆったりと移動してたはずなのに、突然走り出す個体がいたり、逆に動けなくなる個体がいたり。そしてそれらに誘発されて、一気に不安が広がって全体が一斉に動き出す。
「ウジやッ! どこだッ? ウジやッ!」
動物たちがあちこちに走りはじめて、ホシも異変に気付いたんだろう。
最初に自分の名を呼んだことに気づいて、ウジは思わず口元が緩んだ自分を意識した。
いや、笑ってる場合じゃないけど。
パニックになったのか、動物たちは闇雲に走り回る。確かにこのままなら誰かケガをするだろう。
ウジはだから、音を奏でた。それから歌を風にのせた。
怯えるな。慌てるな。恐れるな。そんな気持ちを込めながら。ほら周りを見たら、友達しかいないのにって気持ちを込めながら。
子どもたちは素直だからか、すぐにウジの歌に動きを止めて、ウジの歌が風にのって広がれば、大人の動物たちもまたその足を止めはじめた。
ウジが歌う。奏でる。風に旋律をのせる。
探してたんだろう。そんなウジを見つけたホシが少し遠くからウジに手を振っていた。その顔には驚きが多少あったけど、それよりもウジを見つけた喜びの方が大きかっただろう。
それを見てウジも嬉しくなった。歌にはそんな気持ちも込めたけど、誰も気づかなかっただろう。
虎の系譜7
類は友を呼ぶという。
それは本当だなって思ったのは、ホシと一緒に働くヒョンたちが、「お前の嫁凄いな」って一言で、ウジが歌ったことにちょっとだけ驚いて、動物たちが無事だったことを喜んだだけだったから。
誰も「もう一度歌ってみろ」とは言わなかった。「もっと何かできるんじゃないか」とも。「気味が悪い」とも言われなかったし、距離を取られたりもしなかった。
そしてホシはそれまでと同じままだった。いやでも「歌って」と言われることが増えた。
ウジが歌うのを、ホシは楽しそうに見てる。
まだ名も交わしてないというのに、そんなホシは、確かにウジの心を捉えてた。
だからウジの歌は少しだけ優しくなって、少しだけ淡い色がついたみたいな声が出た。きっとそんなの、ウジの両親ぐらいしか気づかないだろうけど。
何も心配はいらないのに、「あんまり離れるなよ」とホシが言う。
いざとなったらきっとウジの方が強いのに、「何かあったら俺が守るから」とホシが言う。
だからホシの少し後ろをついていくように歩くことが多くなった。
誰かに話しかけられても頷くか首を振るかしかしないウジが言った、「許しがないと、旦那と旦那の家族以外とは口はきけない」って言葉が広まったのか、ホシはいつだって一緒に旅をするヒョンたちから小突かれていたけれど、いつのまにか「新婚なんだから許してやれよ」って誰ともなく言い出して、何も言われなくなった。
別にホシは嫉妬深くなんてない。
ただ、まだ2人は本当の名を交わせてない。
酔ってホシが初夜を失敗してから、タイミングを計りすぎたのか、まだその日は訪れてはいなかった。
ウジは別にどこでだって構わなかったけど、ホシが「次にちゃんとした町とかで、宿屋に泊まれる時まで待って」と言うもんだから、そういうものかと納得しただけ。
その後、色んなことが起きると知ってたら、場所なんてどこでもいいから早くしろと言っていたかもしれない。
虎の系譜8
泣く場面なんて何もなかった。でもウジは泣きそうになっていた。
どこからかあがった火の手に追い立てられるように走る中、ホシが絶対にウジの手だけは離さないと、思ってくれているのが判ったから。
でも周りは火に囲まれていて、動物たちのことだって諦めなきゃいけないかもしれないって事態で、ホシはウジに「泳げるか」って聞いた。
泳いだことはない。だから泳げるかは判らない。
でも背に担いでいた楽器は濡らしたくない。そんな場違いなことを考えつつも、ホシの大切な仲間たちも、ホシの大切な動物たちも、ホシのウジのことを守りたいっていうその思いも、全部全部守りたいと、ウジこそが思っていた。
「でも、俺は歌える」
そう言った時、ホシは少しだけ驚いて、今はそんな時じゃないのにみたいな顔をした。
ウジがその手を離したことにも驚いていただろう。
固い木を削って自分の指にあうように作った弦を弾くためのそれを指に嵌めるのと、ウジがホシのもとを離れるのはほぼ一緒だったかもしれない。
たった3本しかない弦なのに。
「爆ぜろッ」
そう口にした次の瞬間には、たった3本しかないはずの弦が掻き鳴らしながらさらに飛んだ。
風が生まれる。音が生まれるのとほぼ同時に。
音にも歌にも力がある。風に旋律をのせられる人間はいても、その旋律で風まで起こせる人間は少ない。ましてやそれを自在に操れる人間となると、同じ時代に2人いたら良い方だろうと昔聞いたことがある。
ホシが小さくなっていく。これを別れにはしたくなかった。だからまだ身体も重ねてないのに、名を交わした。
はじめて聞くその名前が思った以上に心地よく、ウジの身体に沁みて行く。
ホシの姿が見えなくなっても、遠く風が舞うたびにホシの波動をウジへと届けた。同じように離れた場所で逃げ場所さえ失ってただ闇雲に逃げ惑う動物たちすべてをウジは感じてた。
火の粉や煙が舞うような場所には強い風を。危険が遠ざかった場所には優しい風を。戸惑う子どもたちには優しい風を。悪い感情をのせる気配には厳しい風を。
たった3本の弦でその全てを操って、ウジはホシとその仲間たちを守ってみせた。
虎の系譜9
風に旋律をのせる者たちの真の力は、特に秘匿されてる訳でもなかったから、時の権力者に求められることが多かった。
好き好んで政や権力者の側にいた人だって過去にはいたかもしれない。でもそれは強さを求めたからなじゃない。そこには誰かに対する思いがちゃんとあったからだったはず。
風に旋律をのせられる家系のものたちは、どんなに素っ気なく見えても情に厚かった。そして何者にも縛られずに生きる術を持っていた。
元より誰かを愛したら、それが総てになるから。
離れられたりはしない。
そう聞いていたのに、今ウジの側にホシはいない。
口伝のようにして伝わるはなしだから、多少盛られているんだろう。
政の手伝いをする。期間限定だけど、それでもいいらしい。もっと強欲にウジの力を求められると思ったのに、その時にはホシの手を掴んで逃げるつもりでいたのに本当に期間を区切ってその間だけでいいらしい。
少しだけ不思議だったけど、権力者の中では口伝ではなくちゃんとした資料として、風に旋律をのせる者たちのことが書かれているらしい。
かつてその力を欲して最後まで諦めなかった王は、最終的には国を失ったとか。
きっとそれだって大分話しが盛られてるだろうけど、それでもありがたい。先祖の誰かが戦ったことに感謝しつつ、期間限定の仕事を続ける。
時々ホシが来る。
夜道も気にせず駆けるホシの気配は、どんなに遠くたって判る。
近づいてくるたびに、その速度がウジに会うまでずっと一定なことに、ウジの気持ちは軽くなる。
会いたかったと息を切らしながら言うホシに、「俺も」と素直に言えるのは、ホシが気持ちも何もかもすべて、ウジには隠さないからかもしれない。
離れてるのは寂しいけれど、この期間で荒稼ぎして家を買おうと言ったら驚かれた。
外に声が漏れないような家がいいって言われたら、ホシが驚いたけど、でも喜んでもいた。
虎の系譜10
ホシの姉に子どもが生まれたと聞いた時、ウジは自分の中にどんな気持ちがあったか判らない。でも目が見えない子どもだと聞いた時、その子を大切にしてあげたいと思ったのは確かだった。
ウジの両親がウジに音を奏でる方法を教えたように、いつかウジも誰かにそれを教えることになる。ホシとの間に子どもは望めなくても、子どもを育てることはできる。いつかのはなしで、でもそれは家族のはなしかもしれないから、ホシも一緒でないとダメで。
まだ名も交わしてない。ちゃんとした夫婦でもないのに、子どもを育てたいとは言えなかった。
でもウジには、ホシと出会ってからやってみたいことが増えたかもしれない。
動物たちを育てることが、大変だけれども楽しいことも知った。大切な存在は守りたくなるものだということも知った。ホシの姉の子は新しい自分の家族だって気持ちも知った。
新しく建てる自分たちの家に子ども部屋を作ったらホシは驚くだろうか。いやホシのことだから、ウジが子どもまで産めると勘違いして驚いて、でも喜んでもくれそうな気がする。
離れてる間、ウジは黙々と仕事をしながらも、そんな未来のことばかり考えていたかもしれない。
決して仕事をおろそかにはしなかったけど、ホシがウジのためにウジの実家から持ち帰った楽器を見ながら時が止まる。風が知らせるホシの動きに、やっぱりウジの時は止まる。時折心の中だけで、ホシの本当の名を口にして、やっぱりまたウジの時は止まる。
その名を、呼ぶのは自分だけ......。
自分の本当の名を、呼ぶのもホシだけで......。
恋をしてから一生を共にすると決めた訳でもないのに、それはまるで、恋をしてるようだった。
ホシは知っているだろうか。ホシが駆ける時には追い風が吹くことを。冷たい季節でも、ホシの周りだけは少し暖かい風が吹くことを。どんな小さな災厄も、ホシの周りを守る風によって跳ね除けられていることを。
虎の系譜11
ウジにしてみたら、ホシのことを見守るのは当然のことだったけど、ホシの姉にも母親にも、それから周りのたくさんのヌナたちにも、それは駄目だと怒られた。
ウジがホシの浮気現場を押さえたと知られて。
いやもちろん褒められた。浮気は確かに許されないからと。でも、旦那にも多少は遊ばせないと、そんなに縛って監視して窮屈な状態だと余計に逃げられると皆が言う。
縛ってはないし、監視してる訳でもない。でもまぁ確かに、風は総てをウジに伝えてくれるけど。
男は自分たちが自由だと、勘違いしてる程度が丁度いいんだと、皆が言う。
頼りないところがあっても片目で見て、頼ってあげないといけないんだとも。
「ホシは全然、頼りなくはない」
ウジがそう言えば、調子に乗せてもいけないと皆が言う。
なかなかに夫婦は難しいらしい。
「まぁ新婚だからしょうがないけど」と、皆が言う。
朝が遅くても許されるのは、新婚だけらしい。
でも甘やかすだけじゃなく、締めるところはちゃんと締めて、旦那が毎日ちゃんと働くようにさせて、家に帰って来るようにもさせて、それから自分は自由にやってると勘違いさせて............。
色々聞かされてちょっとクラクラしたかもしれないウジだった。どう考えても嫁の仕事は、ウジにしてみれば楽器を弾くよりも難しいかもしれなかったから。
何より難しいと思ったのは、旦那には惚れさせないとダメらしいから。ホシやいつだって優しいけれど、それはウジにだけじゃない。それにそんなことを考えなくても、絶対に自分の方が惚れている。
無表情に見えてウジは色々考えている。
密かにドキドキしたりワクワクしたり、それからときめいたり。でもって凹んだり。
誰もそんなことをウジが考えてるだなんて、ホシすら知らなかったけど......。
虎の系譜12
2人の夫婦の営みは、色々あったけど順調だったかもしれない。
別に何もしてないのに、周りではベビーラッシュが起きていた。
「ヤバい」
ホシが不意に言った。
何が? とは聞かなかったけど、ウジだって心の中ではもっと早くから、ヤバいかもしれないとは思っていた。
動物たちもポコポコと子どもを生むし、長年子どもができなかった家にも子どもが生まれるし、大分年の離れた妹ができた......と驚いていたヒョンたちもいたから。
「ヤバい」
ホシがまた言った。
何回も同じことを言わなくたっていいのにと、ちょっとだけウジはイラッとした。
しばらくはバレないだろうが、多分そのうちバレる。でもホシがそう言うのに、「それまでには、どうにかする」と答えたけれど、どうにかする当てはなかった。
「ふ、夫婦のことだから、2人で考えよう」ともホシが言う。ウジの中に芽生えたイラつきは、それですぐに収まってしまった。
「とりあえず、あの時の音楽、もっとテンション下げるというか、地味なのにするというか、落ち着いた感じの? そういうのにならない?」
漏れ聞こえてしまう音を気にして自動演奏なんてしてるけど、それはウジの心に呼応するように音を広げていくから制御は難しい。
いや、普段の冷静な自分なら制御は完璧なのにと思わず口にして、ホシと2人で思わず見つめ合う......。
「ごめん」
それからホシが謝った。
「でも、2人のことだし」
だからウジが今度はそう言った。
虎の系譜13
実は俺......とホシが言い出したのは、突然だった。
2人で気持ちよくなってしまった後のことだったから、それは所謂ピロートークだったのかもしれない。
でもホシはいたく真剣だったし、「は、はじめから言わなかったのは悪かったけど」とかも言い出したからウジだって真剣に聞いた。
でも言われたのが「うちの祖先は虎だから」ってはなしと、「だ、だからアッチがしつこいのかもしれない」ってはなしと、「生まれる子どもも、血が濃かったら髭があるんだよ」ってはなしで。
ウジは全部『は?』ってなっていたけど、見た目は相変わらず冷静に見えていたかもしれない。
どこからツッコんで良いか迷うはなしだったから。でも家系のはなしはどの家でもある程度はあるかもしれない。祖先が虎とは突拍子もないけれど、それでも否定するのは失礼に当たるかもしれないし、ホシと夫婦になったからにはウジにとっても祖先になるはずだから。
それにしても、だからアッチがしつこいとはこれいかに............。
ウジにしてみれば比べるものなんてないんだから「確かに」とも言えないし、「そんなことないだろ」とはもっと言えない。
そう考えたら一番ビックリするような最後のはなしが、なんだかほんわかして感じられる。生まれたばかりの赤子に虎のような髭があったら、それはそれで可愛いかもしれないから。
「俺のこと、怖くなるか?」
ホシが真剣な顔で聞いてくるのに、「ならない」とウジも真剣に答えた。
先祖が虎ぐらい、きっとどうってことない。それにきっとウジの方が強い。風を操れるから。
「良かった」
告白してホッとしたのかホシはいつものように二へへって感じで笑ったけど、その後に「でも俺あっちの方、全然落ち着く気配がきっと数年単位でない」とか、何やら後ろめたいのか一気に言いきったホシがいて、ウジはやっぱり心の中で『は?』となって、言葉を失っていた。いや見た目は冷静だったけど......。
虎の系譜14
ホシのあっちは、いつ落ち着くのか。
いやでもそれ以前に、今は本当に落ち着いてないのか。落ち着いたらどうなるのか。
ウジは結構真剣に悩んでた。
しかし悩んだって正解が自分には判らない。これはもうきっと、判るようになるには年月が必要なのかもしれないし、1年たっても2年たっても、いや10年たっても判らない難題かもしれない。
そして問題は、誰にも聞けないってことだろう............。
ホシのように見知らぬ誰かに学びに行くっていう手もある。きっと自分の方がうまくやる自信はあって、ホシのようにバレたりはしないだろう。でもホシの謎な嗅覚的なものというか、本能的なものがあって、思えばそれが虎の系譜ってことだったのかもしれない。
ウジは結構悩んでた。無表情のままだったから、誰にもバレなかったというのに、ホシはそれに気がついた。
「ウジが何かに悩んでる。きっと俺との間に子どもが欲しいと思ってるんだ」
ちょっとどころか、大分方向性は違ったけれど、まぁ悩んでることには気づいてくれた。
ホシはそれを自分の姉や両親に相談したらしい。それなら自分たちに次の子どもが産まれたら、あげようか......とまで姉夫婦が言ってくれたというのに、ホシは「いや、ウジの子どもは出来が良くなくちゃ」とか失礼なことを言って、穏やかな義兄をブチ切れさせたとか。
後からそれを聞いて、ウジがホシの分まで頭を下げたほど。
「子どもが欲しいなんて、言ってない」
「うん。でも、欲しいだろ? ずっと悩んでただろ?」
「ほ、欲しいとしても、出来なんて気にしない」
「うん。でも、出来は悪いよりはいいだろ?」
確かに出来は悪いより良い方がいいだろう。でもだからって、それを理由に姉夫婦の子どもを断ったりするなとウジが言えば、エヘヘとホシが笑って誤魔化した。
「子どもは自分たちでどうにかするから大丈夫」
ホシはそう言って、家族に断ったらしい。
それもウジは後から、しかもホシの母親と姉から聞いて知った。
「自分たちでどうにかするって、できそうな気配でもあるの?」と聞かれて思わずギョッとなったウジだった。
さすがホシの姉だけあって、そういうところは大雑把で細かいことは気にしないから。
まぁでもその大雑把な性格には救われることも多くある。だからウジはホシの姉に、ホシがいつ落ち着くのか問題を相談した。
解決はしなかった......。だって、「でも落ち着いたら、今度はそっちで悩むだけじゃない?」と言われてみれば真理だ......みたいなことを言われたから。
「あれだけ落ち着きそうになかったのが落ち着いたら、外で発散してきてるに決まってるって気持ちになるだろうし」
そうも言われてしまえば、安易に落ち着かれても困る気がして、悩ましいことは増えただけかもしれない。
そんなことに悩んでたからか、虎の系譜だなんて話はすっかり忘れてしまったウジだった。
虎の系譜15
「子どもはとりあえず、もう少し我慢しよう」と、これまたホシが言う。
いつウジが子どもが欲しくて我慢できないなんて言ったのか、ちょっと考えたほど。
「いやだって、もっと新婚な感じを楽しまないと、ラブラブなのは今だけだぞってヒョンたちが言うから」
それはウジも、家事を手伝っていると井戸端会議的に皆から言われる。
大抵の男は釣った魚に餌をやらないって。
優しいのは今だけだとか。手伝いなんてすぐにしなくなるとか。
でもウジの両親は今でも結構仲が良いし、ホシの両親も仲は良い方だし、ホシの姉夫婦も仲は良い。
でもみんな、井戸端会議的な場所ではうちの旦那なんて......と言うから、もしかしたらそういうルールなのかもしれない。
ホシにそれを言えば「そうかも。そ、それなら俺のことも、ちょっとは言っていいけど」と、嫌そうに言う。
「いつも五月蠅いとか?」
「そ、そんなに五月蠅くないだろ」
「時々鬱陶しいとか?」
「う、鬱陶しいってなんだよ」
「手伝いもしないのについて来るとか?」
「手伝おうかって言ったら、いつもいいって言うんじゃん」
「みんなが言ってた。手伝おうかって言われるのが一番ムカつくって」
「え............」
ホシがあわあわしてる横で、「でも別に、俺はムカつかないけど」とウジがちょっとだけ笑ってた。
そしてとりあえず2人は子どもはもうちょっと我慢するってことで同意した。なんでかホシが言い直した時にはもう少しがもうちょっとなっていて、やっぱりウジは首を傾げたけれど、まぁ今じゃないってことで同意した。
「これで悩みは全部解決した?」
物凄いどうだって顔で、なんならニッコニコでホシが言うのに、「え、全然」って言いつつ首を振ったウジだった......。
虎の系譜16
ウジは自分のために飯を炊く。
ホシはウジのために美味しいおかずを手に入れる。
時々美味い店があると聞けば出かけていく。
相変わらず、ホシが放牧する時はウジもついていく。
犬も食わないという喧嘩は数回した。
謝るのはいつだってホシの方が先で、それもまた悔しいとウジが思っていることを、ホシは知らない。
夫婦の間には秘密がない方がいいのかと思っていたら、秘密はあった方が上手くいくこともあるとも教えて貰った。
だからウジは黙ってるけど、たぶんもう少ししたら2人のもとには子どもがやって来る。
遠く離れて暮らす両親から、なぜか先に子どもを見せに一度帰って来いと、風の便りが届いたから。
子どもができると2人の時間は格段に減って、しかもだいたいの夫は子どもと一緒に妻のことをママと言う。それが喜びの時もあれば、哀しい時もあるとも教えてもらった。
ウジはまだどちらの気持ちも判らない。でもホシはウジのことを本当の名前で呼ぶ時はいつだって嬉しそうだったから、それは変わらない気がする。
ウジだってホシのことを本当の名で呼ぶ時は、今でも少しだけ気持ちがあがるから。
子どもができると2人の距離はどうしたって子どもの分だけ離れて、手を握ることもなくなって、子どもを挟んで繋がるばかりだと言う。
そうかもしれない。でも、違うかもしれない。今でもホシは放牧に行くたびに、ウジの手を引いてくれることがあるし。
横に並んで歩くのも好きで、前を歩きながら楽しそうに何度も振り返るのも好きで、後ろからウジの名を呼ぶのも好きだった。
そんなホシを見るのがウジもまた好きで、時々握った手に力を込めてみる。そうするとホシと目が合って、2人して笑う。
「そろそろ俺ら、行く?」
そうホシが聞くたびに、ウジは「まだ。もう少し」と断る。
それはウジの両親のもとへと一緒に行こうって話で、ホシは早く行きたがるのを、ウジが「まだ、今じゃない」とか、「まだ、タイミングが悪い」とか言って止めていた。
「じゃぁいつ?」
そう聞かれてもウジだって判らない。でももうすぐなはず。
風は確実に吹き始めてる。そんな気はしてた。
人との出会いは突然で、そして不思議で、でもそれはきっと必然で。
「子どもを預かってくれませんか?」
小さな馬は、ちょっと痩せてたけど元気そうではあった。
「お金はないんですけど、その代わり、この馬で」
その言葉をホシは、馬を預かるんだと思ったようだった。お代は成長した馬を一定期間使うことでどうにかして欲しいと、自分の知る常識に照らし合わせてそうだと判断したんだろう。
でもウジは気づいてた。
本当に預かって欲しいと言ったのは、その男の後ろにいた年若い女が抱えた乳飲み子で、そのお代が馬そのものだってことを。
「いつまでですか?」
ホシの仕事に横から口を出したことなんてなかったのに、ウジは聞いた。
だってホシは理解してないけど、それは自分たちの子どもの話だったから。
「旅に出るんです。どうしても行かなきゃいけなくて。ただ、過酷な旅なんです。だから子どもは連れて行けなくて」
いつまでとは言わなかった。
ホシは馬の手綱を手渡してもらいながら、「別に、期限はいつまででもいいですよ。名前はなにかな?」とか言いながら馬の首を叩いてた。
「大切にお預かりします。強く、優しく育てます」
ウジはそう言って、頭を下げる年若い夫婦にも負けないぐらい深く頭を下げた。
抱いていた子どもに夫婦は何かを話しかけた後、そっと地面に子どもを置いた。
ウジの手へと手渡さなかったのは、何か理由があるんだろう。
「あ、お前トリコか」
馬の手綱にあった名前を見つけてホシがそう言った。まだホシは気づいてなかったけれど、夫婦は子どもをそのままに、最後にまた深く深く頭をさげて、それから一度も振り返らずに去っていった。
ホシが気づいたのは、地面に置かれたままの子どもが盛大に泣き出したからだろう。
「お? あ? ぇえ?」
驚くホシを他所にウジは子どもを抱き上げた。
虎の系譜17
引き取ったと言ったら、きっとその子どもはウジとホシのもとには残らなかったかもしれない。子育てには、2人よりももっとずっと適した人たちがたくさんいたから。
でもウジはその子どもを預かったと言った。
いつか返さなきゃいけない子どもは、大切に育てるとも。
ひとまず反対されなかったのは、どこのうちの子どもも皆で一緒に育ててるようなものだったからかもしれない。
ホシと一緒に話し合ったのは、子どもの名前だった。
「名前......」
「名前?!」
ウジが呟けば、その単語にホシは飛び上がるほどに驚いて、馬じゃないのに子どもにも手綱があったりしないのかと探したほど。それこそ着てる産着をひっくり返して探したけれど、名前とおぼしきものは何もなかった。
どっちがどっちの名前をつけるか......。そうウジが問えば、ホシはやっぱり飛び上がってた。
誰にも言わない本当の名前と、日頃から呼ばれる名前と、そりゃ子どもには2つの名前を考えなくてはならなくて、そのどちらも、とてもとても大切なもので。
「ちょっと悩んでいい?」
ホシはそう言って、本当に悩み始めた。
数分待っても、十数分待っても、名前どころかどっちの名前を考えるかすら決まらなかったけど。
やっと戻って来たホシはどっちの名前を決めるかはジャンケンで決めようって決めてきただけだった。
1回勝負はすぐに決まったのに、勝った方が日頃の名前なのかってところでホシはまた悩みはじめて、やっぱりちょっと待ってと言い出して、ウジは笑った。
「お前のアッパは全然ダメだな」
抱いていた子どもにそう声をかけたら、ホシはまた飛び上がってたけど。
名前が決まるまで数日。
子どもの世話が2人だけでもちゃんとできるようになるまで数十日。
それから旅に出た。家族3人で。ウジの両親に子どもを見せるための旅に。
ウジが歌う。奏でる。風に旋律をのせる。
子どもはホシが前に抱え、ウジの両親へのお土産でいっぱいの荷物を背負いながら歩く。
もっと夜泣きに悩まされるかと思ったけれど、ウジの自動演奏で子どもは健やかに眠る。
「虎の系譜の末裔だから、きっと強い子になる」
ホシが言うのに、「この子は良い風使いにもなるよ」とウジも言う。
すでに親バカな状態になってる2人は、「俺ら最強家族じゃん」とホシが言えば「そうかも」とウジが頷く。
いずれ、子どもが成長した時に、「え? 俺らの愛の営みはどうすりゃいいの?」とかホシが言い出し、「外でする?」とかウジが言い出すことになるのだが、それはまだまだ、うん、遠い未来のはなし............。
The END
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