ウォヌは風邪をひいた。
たぶんそういうことだ。
誰だってかかる。油断したら。気づいたらかかってる。
いつもは美味しい食べ物や飲み物が美味しく感じられなくなったりする。
たぶんそういうことだ。
ウォヌはある日、ミンギュのその手に感じなくなったけど、それは風邪みたいなもんだと自分に言い聞かせた。
きっと気づいたら治ってる。数日したら、治ってるはず。そう信じて。
一度は疲れてるからって断った。
ミンギュは無理強いなんてしないから、「じゃぁ自分で処理してくる」って笑って部屋から出ていった。
本当に疲れてたんなら気にもならないのに、嘘をついたせいか後ろめたくて、珍しくも「手伝おうか」なんて言ってミンギュを驚かせた。
一瞬ミンギュは驚いて、それから嬉しそうに笑って「変なクセついたら嫌だからやめとく」って断られて、さらに落ち込んだ。
二度目も案外すぐにやって来て、「ごめんちょっと今日は頭痛い」って体調不良のふりをした。ミンギュの手がウォヌの額にのばされて、「熱はないね」っていう優しい言葉にやっぱり凹む。
だってその手は変わらず優しくて、ウォヌのことを大好きなミンギュの手で、ウォヌだって大好きなミンギュの手なのに、自分の身体に触れてくるその手に感じないんだなんて、言えるはずがなかったから......。
食欲が落ちた気がする。まぁ、気にしてるからかもしれない。
浮かない顔をしてることは、すぐにユンジョンハンにバレた。
いつだって、「どうした?」って声をかけてきてくれるけど、さすがに話すには勇気がいる内容で、「ちょっと最近バテてるだけ」って誤魔化した。
なのに勘だけはいいのか、「ミンギュとケンカでもしてるのか?」って聞いてくる。「なんで?」って聞けば、「だって最近あいつがお前のこと、チラチラ見て気にしてる」って言うから、ミンギュはミンギュで何かがおかしいとでも思っているのかもしれない。
でもさすがにミンギュ相手にだって話すには勇気がいるから、全然大丈夫じゃないのに、「大丈夫。なんでもない」って言ってしまってから、後悔した。
きっと勢いに任せて話してしまった方が、楽だったかもしれないと思って。
泣くほどのことじゃない。
だけど泣きそうだった夜。それはミンギュが手を出して来なかったから。
もし誘われたら、今日はどう言って断ろうって悩んでたのすらバカみたいで、ミンギュだって疲れてる日はあって、気分がのらない日があって、できもしないのに「しないの?」とは聞けなくて。
バカみたいに、泣きそうになった夜。
こんな時は一緒の部屋なのは辛すぎるけど、でも別の部屋で寝たいなんて自分からは絶対に言えなくて、唯一の救いは忙しすぎて身体は疲れてるから、凹みながらも気づけば眠ってたってことぐらい。
仕事柄、笑うことには慣れている。
でもそれで騙されるのはメンバー以外だけ。
ユンジョンハンしか気づいてなかったはずなのに、気づけば全員が心配してた。
何に落ちてるかは知らなくても、何かに落ちてるってことは判ってて。
「なに? どうした? 聞くのは今だけだから、言うなら今言え」
優しいのか冷たいのか横暴なのかよく判らないけど、やっぱり優しいんだろう。忙しいはずのウジが、手も頭も全部止めて、ウォヌを真正面から見てくれている。
だから正直に話したら、「なに? ミンギュって下手なの?」って言われて、久しぶりにちょっと笑った。
相談相手として、ウジはどうなんだろう。
うまく歌えない時には適格なアドバイスをくれるけれど、ミンギュの手に感じないなんて相談は、されても迷惑なだけだろうにウジは結構真剣に答えてくれたかもしれない。
「待てって言えば、あいつは待つだろ。喜んで」
犬じゃないんだからって言えば、犬みたいなもんだろとも言っていたっけ。
一生待たせることになったらどうするんだよって言えば、その時は一生待たせるだけだろって当然のように言う。
「どっちにしろ、一生もんだってお互い思ってんなら、しょうがないだろ」
浮気されたらどうするんだよって言えば、俺が代わりに殴ってやるって言う。
だからやっぱり、ちょっとだけ笑った。
「ごめん。ちょっとだけ距離とりたい」
そう言ったら、ミンギュに泣かれた............。
ウォヌの様子がおかしいのは、気づいてた。
だって一緒に寝てるのに、手が触れればビクリと身体が揺れるのに。
最初は自分の手が思った以上に冷たいのかと思ってた。
でも自分の手が、身体が、自分そのものが原因なんだって、すぐに気づいた。
だって愛してて、自分だけが気持ちよくなるようなセックスをしてるつもりはなかったから。時々は夢中になりすぎて無理をさせてしまうけれど、大抵は気をつけていたし、何より気持ち良さげなウォヌを見るのは楽しみの一つだったから。
きっと気分が乗らなかっただけ。誰だって、そういう時はあるから。
そう自分を誤魔化したミンギュだった。
普通の顔して手をだしたら、「今日は疲れてるから」って断られて、ちょっとだけホッとした。そういう時もあるだろうし、ちゃんと言ってくれる方が嬉しいから。
だから笑って「じゃぁ自分で処理してくる」って言ったのに、ウォヌは「手伝おうか」なんて言ってきた。
普段なら絶対大喜びしただろうけど、どこか気遣ってる空気があって、いつもと違う感じがミンギュの胃の辺りをグッと押してくる。
「変なクセついたら嫌だからやめとく」
笑ってそう言ったけど、本当は辛かった。
でも次の日も、ウォヌは「ごめんちょっと今日は頭痛い」って断ってきた。
額に手を当てて熱があるか確認はしたけど、パンデミック以降少しでも体調不良の兆しがあれば申告しなきゃいけないルールになっているのに、昼間は何も言ってなかったのに............。
ウォヌの食欲は明らかに落ちていて、ミンギュの酒量は増えた。
「俺、何かした?」
そう何度も聞こうとしたけど聞けなくて、練習室でも鏡越しにチラチラと見てたらユンジョンハンに速攻でバレた。
「何? お前らケンカでもしてんの?」
「ケンカなんてしてない」
だから大丈夫って続けるつもりだったのに、「じゃぁタチが悪い方じゃん」って言われて凹んだ。
鏡越ですら視線が合わなくて、さらに凹む。
前向きなだけが取り柄の自分なのに。
断られるのも、ビクつかれるのも耐えられそうになくて、ウォヌに手を出せなかった。
別にセックスなんてしなくたって、2人の関係が崩れたりはしない。
抱きしめなきゃ不安だなんて、そんな関係じゃない。
どんな時だって隣りにいる。それだけは確かだから、絶対大丈夫。きっと大丈夫。
でも疲れた振りして横になったのに眠りは訪れなくて、物凄く近くに寝てるのに、物凄い距離があるような状態で。
明日だって早いのに。
こんな時は別の部屋で寝た方がいいのかもしれないけど、一度離れてしまえば元に戻れないような気がして、情けなくも泣きそうになった夜。
ウォヌが遠かった。
笑ってたけど、全然ウォヌが笑ってなかった日。
ミンギュだって泣きそうになった日。
当然のようにみんなから、「お前何やったの?」って聞かれた日。
俺が知りたいよって思いながらも、同じ部屋に帰った日。
「ごめん。ちょっとだけ距離とりたい」
そう言われて、泣いてしまった日。
元から泣きそうだったから、耐えられなくなっただけで。
でも泣いたら許してくれるっていうなら、全然泣いたっていい。
でもこれだけは言わなくちゃって「ちょっとだけってどれぐらい? 1メートルぐらい?」って聞いたら、ウォヌが笑った。
「泣くなって」ってウォヌが言うけど、ミンギュは泣き止めなかった。
でも「1メートルでいいなら、移動車は一緒でいいよね?」って言えば、ウォヌが「移動車は一緒でいいよ」と言ってくれた。
距離を取りたいって言葉が辛かったのもあるけれど、その後の涙は、嫌われた訳じゃないんだってことが判ったから。
「俺まだ、ウォヌヒョンのこと、好きでいていいよね?」
そう聞けば、ちょっとだけ黙ったウォヌだったけど、頷いてくれた。
それだけでホッとして、嬉しくて、「良かった」って言いながらもうぅぅぅって泣いたら、やっぱりウォヌに笑われた。
「ごめん。触られるの、ちょっと無理になった」
ウォヌは言うつもりのなかった言葉を口にした。
ミンギュはまた泣くかと思ったのに、「それが、俺と距離をとりたい理由?」と聞いてきて、頷けば、「良かった......」って言って、ミンギュは泣き顔のまま笑った。
「良くない」
何も良くない。それが問題の根源なのに、それを聞いてなんで良かったと言えるのか。
「でも俺、嫌われたんだと思ったもん」
嫌われることと、触れなくなること。どちらがマシかと言うと、触れなくなることらしい。
「嫌われてないなら、どうにかなるもん」
そう言ってミンギュが笑う。ウォヌが物凄く悩んだことを、笑って「どうにかなるもん」と言われて、ちょっとだけ微妙な気持ちになる。
でも......。
「距離、ちゃんと測ろう」
ミンギュはそう言って、家の中で必死にメジャーを探し始めた。
さっき「1メートル」と決まったはずの2人の距離を、ミンギュはもっと攻めたいらしい。
あんだけ悩んだのに......。
ミンギュは嫌われてないと判った時点で、なんでか楽しみだした。
握手は? ハグは? 舌を入れないキスは? と、メジャーが見つからないとウロウロしながらも、ウォヌのもとに戻ってきては、ダメなものを確認していく。
結局、手を繋いで寝るはめになった......。
「今度、あっちも試そうよ」
調子に乗ったミンギュがそんなことを囁いてきたから、無視しておいたけど。
それから、普通に過ごしてる。
ミンギュが色々果敢に挑戦しようとしてくるけれど、時々は無視して、時々は拒否して、時々は一緒に挑戦して............。
気づけば、お互い満足してたりもして............。
やっぱり、風邪のようなものだったのかもしれない。
ちょっとだけそう納得したウォヌの横で、「最初から俺に言えば良かったんだよ、もぉ」と、ミンギュは笑ってた。
The END
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