彼と彼のその後
ミンギュが泣いたのは、ウォヌを何年か振りに抱きしめた時で。
ウォヌが泣いたのは、ミンギュの墓の前に立った時。
でも2人とも、悲しくて泣いた訳じゃない......
彼と彼のその後 1
ミンギュが目覚めた時、そこは真っ白な病室だと思ったのに、ところところ黄ばんでた。
ウォヌが覗き込んでくるその後ろに、謎な棒が3本立っていて、感極まってウォヌヒョンって言うはずが、最初に口から出たのは「あの棒なに?」だった。
「殺菌筒」
なかなかに聞き慣れない言葉に、「は?」となる。
「殺菌筒。殺菌灯とも言うらしい。あれで部屋の中を殺菌してるらしい。とりあえず、虫とかは来ないらしい」
らしいらしいとウォヌが言う。
「3本もあるのは、優しさらしい」
部屋を殺菌してるのに、普通に窓もあいていて、時々は香辛料的な匂いが入ってきたり、謎な音楽も聞こえてくる。
長く長く、何年も寝過ぎたせいか、身体の筋力は見事に落ちていた。
ウォヌに手を伸ばしたいのに、腕さえあがらない。
こりゃ相当真っ白になってる自分を想像したのに、「いや、お前全然色白じゃないけど」とウォヌに否定された。
「ここ3階だし、西日がよく当たるらしいし、時々はスコールもあるらしいけど、あんまりないから、窓は大抵あいてるらしい」
またしても、らしいらしいとウォヌが言う。ミンギュは今度も「は?」となる。
いやじゃぁ殺菌筒を3本も立ててる意味は?って感じ。
「だから虫避けだろ?」
ウォヌは落ち着いていた。
ミンギュの想像だと、ミンギュに縋りついて泣くんじゃないかと思っていたのに。
脳波の検査だとか、身体のマッサージだとか、治療費のはなしだとか。リハビリのスケジュールに治療方針に転院が可能になるタイミングとか。
やらなきゃいけないことも、考えなきゃいけないこともたくさんあったけど、ミンギュのそばにはウォヌがいて、ウォヌのそばにはミンギュがいたら、何も問題はなかった。
何かを取って欲しくて手を伸ばしたら、大抵ウォヌの手がミンギュの手を握ってくる。
別に手を繋ぎたくて伸ばした訳でもなくても、それだけで満足してしまえる。
パスポートもスマホも、当然ながら身分証明書も全部失くした。だから自分が誰かってことを証明する手配からはじめなきゃならなくて。
道のりは遠いかもしれない。
それでも、ミンギュが手を伸ばせば、その手を当然のように握ってくれるウォヌがいたから……。
決して劇的な再会ではなかったけれど、でもまぁそりゃそうかもしれない。ミンギュの身体が眠り続けたこの数年。ミンギュの魂だけはずっとウォヌの側に居続けたんだから……。
彼と彼のその後 1 END
彼と彼のその後 2
「嘘じゃろ?」って言われた。
じゃろってなんだよって感じだが、まぁ死んだと思ってた息子が生きてたって知らせに、思わず言葉も崩れたんだろう。
「なんとか詐欺だよ。投資詐欺とか、保険金詐欺とか、なんだっけ?」
電話の向こう側では、妹がバカなことを言っている。
死んだはずの兄が生きていた、それがなんで投資詐欺なんだか。いやそれに、保険金詐欺だと疑われるのは、なにがしかのお金を受け取ってたとしたら、家族の方なはずなのに。
「ごめん。俺、最近目覚めてさ。生きてる」
ウォヌが見つけてくれて、ウォヌが目覚めさせてくれたと言えば、電話の向こう側の父親がまた「嘘じゃろ?」ってどこの人間だよってことを言う。
「で、あんたいつ帰ってくるの?」
母親が一番冷静だったかもしれない。
とりあえずは話が進みそうだったから。
大使館に連絡はしてみたけれど、当然はいはいとは話は進まなかった。パスポートがないと帰れないのに、パスポートの再発行には死亡届の取り消しが必要で、死亡届の取り消しには生きてることの証明が必要で、ただ生きてると言っても当然信じてもらえないから、韓国にいる家族とのDNA的な証拠が必要で。
ウォヌのスマホを借りて、まだ1人で動けもしないのに、結構頑張った方だと思う。
でももう、2年ぐらいはこっちでリハビリしながらゆっくり過ごしてもいいかとすら思ってしまったかもしれない。
電話を切った後、そんなことを言ってウォヌに話したのに、2回も寝てないのに、ミンギュの病室には父親と母親がいた。
妹はどうしても、パスできない試験があるとかで、遅れてくるという。
ミンギュだって行動力がある方だけど、それはやっぱり、両親に似たんだろう。
父親が政府関係者とテキパキと話してる。
母親はDNA鑑定のスケジュールを確認してた。
「昔からあんたは、頭はいいのに、どこか抜けてたから」
感動的な再会を期待してた訳でもないけれど、母親が呆れたように言う。
やることが多すぎて泣く暇もない。と笑ってた。
でも泣いただろう。
たくさんたくさん、泣いてくれたはず。
「生きてたから許してやる、死んでたら許さなかったけど」
2日遅れでやってきた妹が、そう言って抱きついてきた。
まだ両手では抱きしめてあげられないってのに。
「いろいろ迷惑かけてごめん」
そう言ったら父親が、「お前のために作った墓代も含めて、お前に請求するから問題ない」と笑ってた。
だから思わずミンギュが「嘘じゃろ?」って言ったら、自分だってそう言ったのに、そんなことは忘れてるのか、家族全員でミンギュのことをバカにして笑ってた……。
彼と彼のその後 2 END
彼と彼のその後 3
「俺、先に帰るよ」
って、ウォヌが病室の窓から外を見ながら、不意に言った。
気持ち的には後ろから抱きしめて、「何言ってんの?」って言いたかったけど、まだ1人では立てないし、自由に動かせるようになったのは左手だけで、それだって手が届く距離でもなければ意味がない。
「何言ってんの?」
家族が来たからかもしれない。
父親と妹はあれから行ったり来たりを繰り返してるけど、母親だけは帰りもせずに、毎日病室に顔を出す。
もう大丈夫。後は時間がかかっても治っていくばかりだって言っても、「あんたうっかり消えるかもしれないじゃない」と笑ってた。
笑ってたけど、それだって後遺症みたいなものかもしれない。
小さな子どもから目が離せない母親のような、ものかもしれない。
まぁでも最近は、病室にくる以外はしっかり観光もしてるし、お気に入りのバザールも見つけたとかで、買い物も楽しんでいた。
そんな家族に遠慮してるっていうなら、絶対必要ない。
それは家族だって判ってるって力強く伝えたら、ウォヌが振り返りながら言った。
「エアコンつけっぱなしで来た気がする」って……。
確かにバタバタと家を出た。
パスポートの場所も、機内に持ち込めるサイズのキャリーケースの場所も、その他持っていかなきゃいけないあれやこれやをミンギュが教えて準備したのは、突然出発することになった前日だった。
ミンギュの身体を探すのに、もっと時間がかかると覚悟してたのに、それは思ったよりも早かった。
行くと決めたのは、飛行機の乗り継ぎだとかが絶妙に完璧だったから。そしてチケットが取れたから。
今から思えば慌てる必要なんて全然なかったけれど、その時はそんなこと考えられなくて。
たまたまビジネスしか空いてなくて、それでも来にせずチケットをポチったのは、2人とも早く会いたかったから。
「俺、飛行機に一緒に乗れるかな」
「とりあえず、あのピンポン鳴るとこ通る時は離れてろよ」
バカみたいなこを話しながら、それでもミンギュはウォヌの横にいた。
ウォヌしか食べなかったけど、機内食だって豪華だった。
「帰りは2人で食べよう」
ミンギュはそう言ったけど、帰りは「エコノミーじゃない?」って言ったのはウォヌだった。それでなくても、チケットは2人分に増えるんだから……って。
「きっと、洗面所の電気もつけっぱなしだと思う」
色々思い出してたミンギュに、ウォヌはそうも言った。
テレビはさすがに消した気はするけど……とも。
彼と彼その後 3 END
彼と彼のその後 4
ウォヌは一度帰るという。
きっとどんなに最短で行き来したって、1週間ぐらいはかかるだろう。
「ちょっと待って。俺、一度試してみるから」
そう言ってミンギュが目を閉じると、「え? 何を?」とウォヌが聞いてくる。
だから当然のように、「いや、もう一回身体から出れるかなって」と言ったら呆れた目で見られた。
いやでもそれなら、一緒に着いていける。
機内食はまだ一緒に食べれなくても、きっと寂しくない。
「それにほら、ウォヌヒョン、機内で書くあれやこれや、苦手じゃん。俺がいないと、機内食だって寝過ごすじゃん。映画とかだって、メニューのトップにあるやつしか見れないじゃん」
ごちゃごちゃ言ったけど、「わからなかったら、ちゃんと聞くよ。俺きっと、お前がいなくたって、ちゃんとできるよ」とウォヌが言う。
いや、家のエアコンや電気をつけっぱなしにしてくるような男が、どうちゃんとできるのかは判らない。
「いやもう、エアコンは1年中つけっぱなしでもいいよ。俺が出すし」
そうも言った。
離れたくないから。
置いていかないでくれとも言った。愛してるからって。
「別れ話でもあるまいし」ってウォヌは笑ってたけど、「別れ話じゃん。離れ離れになるんなら、これだってちゃんとした別れ話じゃん」と抗ってもみた。
「でも俺、エアコンも止めに行くけど、部屋も解約してこようと思って。大学に休学届けも出さなきゃいけないし」
俺を置いて行くなんて、愛してないのかよって言いかけてたのに、そこには愛しかなくて、愛があるからこそ、ウォヌは一度戻る気になったのかもしれない。
「でも耐えられないかもしれない」
ミンギュは素直にそう言った。
だって俺ら、片時も、本当にずっと一緒だったじゃん……って。
行方不明だと騒がれてたって、誰もが忘れたようになったって、確かにミンギュはウォヌの側に居続けた。
抱きしめたりはできなかったけど、それでも気持ちは寄り添い続けて、うっかりそのまま幸せになりましたって、物語は終わってしまいそうだった。
「ウォヌヒョン俺がいないとダメじゃん」
泣き落としのように、そうも言った。
だって目覚めた時に「ヒョンどこ?」って言って、「ここにいる」って声が聞こえない瞬間を考えると、耐えられそうになかったから。
「お前の方じゃん、俺がいないとダメなの」
そうしたらウォヌがそう言った。
だからミンギュは力強く、「そうだよ。それがなんだよ」って言い返す。
だってほんとだから。ウォヌがいないと、ダメだから。
彼と彼のその後 4 END
彼と彼のその後 5
結局、ウォヌは1人で飛行機には乗らなかった。
ミンギュが母親に、「俺、ウォヌヒョンがいなくなったら、やっぱりまた深い深い眠りにつきそうな気がする。なんだっけ? シンデレラだったっけ?」と言ったからではないだろうけど……。
「シンデレラにしてはデカ過ぎるよ」
たまたま来てたミンギュの妹は笑ってたけど、毒リンゴを食べて眠りについたのは白雪姫じゃなかったっけ?って思ってるウォヌを他所に、「その子あれよね? 糸車の針に手を刺された子でしょ?」と、近所の子どもの話しでもしてるかのようにミンギュの母親は言う。
「え、誰?」
ミンギュもわからなかったんだろう。ウォヌはもう糸車って単語に首を傾げていたけれど、まぁ、童話には色々あるんだろう。
「俺はでも、嫌がらせするお姉さんとかが結構好きだけど」とミンギュが言う。もはや眠りとは関係ない。シンデレラにいた2人の意地悪なお姉さんのことかもしれない。
だから? って言われそうなのに、「それを言うなら、王子様とのハッピーエンドは嫌かも」と妹が言う。
ミンギュも大概おおらかだけれども、家族もやっぱり似て、おおらかだった。
話題がズレてっても、誰も何も気にしない。
「なんで小人って7人もいるの?」
ミンギュの母親までそんなことを言い出して、そんなの作者の自由じゃんって話しで落ち着いていたけれど、結局、なんの話しだったのかも忘れされれて、ミンギュがまた眠りについてしまうかもしれないなんて話題は、気づけば消え去っていた。
結局、ウォヌは1人では飛行機には乗らなかった。
もう1回言うけど。
つけっぱなしだったエアコンも、部屋の電気も、引っ越しの準備も部屋の引き払いも、不要な荷物の処分も、必要な荷物をトランクルームに突っ込むことも、全部をユンジョンハンがしてくれたから。
いやまぁ、押し付けたとも言うけど……。
パソコン以外は、使えそうなものは全て売ってくれて構わないと伝えて、事実そうしてくれた。
契約者がいないとって渋る不動産屋と話をつけてもくれた。
大学の休学届けはネットからできたけど、それを確認してくれたのもジョンハンで、借りは増えるばかりだった。
正直飽きたのか、それとも日常が忙しいのか。家族の行き来が減ったって、とうとうミンギュの母親が「私も帰るわ」とあっさり帰国したって、ウォヌはミンギュの側に居続けた。
もちろんそれはミンギュがそれを望んだからで、家を引き払って休学届けを出したら戻ってこようと思ってたウォヌだって、それを当然望んでて。
だから何も問題なんてなかった。
彼と彼のその後 5 END
彼と彼のその後 6
問題があるとすれば、思った以上に身体が元に戻るのに時間がかかったぐらいだろうか。
それでも、右手は多少あがるようになった。まわせなかった肩もまわせるようになった。
左手で持ち上げないとあがらなかった足は、棒のようだったのに、多少なりともしっかりしてきた。
数年放置されていた身体にしては、戻ってきた方かもしれない。
「ウォヌヒョン俺、もうすぐ抱きしめてあげられるよ」
リハビリが厳しいかというと、そうでもなかった。
車椅子に乗って移動するのに、それを押してくれるウォヌがいたからかもしれない。
汗を拭いてくれるウォヌがいて、頑張りすぎなくていいと言ってくれるウォヌがいて、よく頑張ったって言いながら、ミンギュのまともに動かない右手や足を撫でてくれるウォヌがいて……。
1人ならそんなに頑張れなかったかもしれない。
頑張ったにしても、その速度はそれほど早くなかったかも。
だってどうしても抱きしめたくて、それから並んで歩きたくて、何かあった時には守りたくて、追いかけたいし、逃げられたら困るし。
そう言えば、ウォヌは「なんだよそれ。俺がなんで逃げる前提なんだよ」と笑ってたけど、「もちろんウォヌヒョンが追いかけてくれてもいいけど」と言えば、「だから今、俺がここにいるんだろ」と言われて、そうかと納得する。
「でも、なんでもできるお前も嫌いじゃないけど。1人じゃ生きていけないお前も嫌いじゃないけど」
そこは好きでいいのに、嫌いじゃないとウォヌは言う。
でもそんなことに不満なんてない。
だってウォヌは車椅子を起用に押す。
リハビリの準備だって気づけば1人でできるようになっている。
知らない国の言葉をカタコトでも覚えて、病室に来てくれる看護師さんたちと会話もして、いつの間にか西日のきつい窓にはカーテンがあって、食べちゃいけないものがなくなった今では、ミンギュの好きなものばかりが食事に出る。
きっと愛してるってだけじゃできない。
もちろん愛がなきゃできないけど。
優しさだけでもできない。
当然優しさだってあるだろうけど。
「逆だったらさ、俺、そこまでできるかな」
結構真剣に言ったのに、ウォヌは素っ気なく「俺も無理」って言った。
え、何が?って聞けば、「身体から抜けて、お前の側にへばりつく根性は俺にはないかも」と言った。
いや、そうかも……。
確かにそうかも……。
こんな離れ離れになることなんて、人生においてもう一度あったら困るけれど、でもそれでも、今度だって絶対にウォヌの側にいそうな気がする。
「でも根性かな? それって俺の才能かもよ」
そう言いながら思わず両親に、親戚とか祖先とかに、霊能力者はいないのかと謎なカトクを打って心配されたほど。
「でも今度はすぐに、お前の身体どこだよって、すぐに聞くよ」
ウォヌはそうも言っていた。
素っ気なくだけど、やっぱりそこには、愛がある。
彼と彼のその後 6 END
彼と彼のその後 7
ベッドの上で何度も、ウォヌに抱きしめられていた。
パジャマを着替えたりするのを手伝ってくれたりしてたから。
だからウォヌの身体に触れるのが、数年振りなんてことはなかった。
再会したての頃だって、抱き合えなかったけど抱きしめてはもらったし……。
なのにウォヌのことを抱きしめたその日、ミンギュは泣いた。
なんでお前泣くの?ってウォヌは言ったけど、そんなこと、ミンギュにだって判らない。
ただ自分の手で抱きしめられたからかもしれない。
取り戻したのは俺なのにってウォヌは言ったけど、そんなこと、ミンギュだって同じだった。
「俺のだ」
そう言ったら、バカにされるか否定さられるか無視られるか笑われるか。そのどれでも構わないと思ったのに、ウォヌがただ「うん」って言うから……。
涙は止まりそうにない。
ずっと一緒にいて幸せだったけど、抱きしめてあげられないのだけが悔しかった。
泣いたのはその一度だけ。
次の日からも抱きしめたけど、喜びは毎回感じだけれど、泣いたりはしなかった。
「抱き上げたりできたら、泣くかもよ」
そう言ったら、「そんなこと、今までしたこと一度もないだろ」とバカにされたけど、あるような気がする。
そうも言ったら、「あったら俺が覚えてるわ」とも言われたけれど、絶対あるよとやっぱり思う。
やっぱり身体から魂抜けると、ちょっとアホになるのかな……とウォヌは心配してたけど、困ったことなんて、何もなかった。
「もっとこう、家族と恋人に挟まれて愛憎劇っぽいやつ? ドラマみたいなの、あってもおかしくないのに?」
いやもしかしたら、ベッドから動けないミンギュは知らないけれど、病室の外ではそういうこともあったかもしれない。そう思いながらも笑いながら言ってみたら、ウォヌも不思議顔で「そう言えば、そういうのないな」と言っていた。
追い出されたこともないし、邪険にされたこともないし、変に気遣われたこともないらしい。
「いやウォヌヒョンそういうの、ちょっと疎いから」
そう言ったら小突かれたけど。
でもとりあえず、母親にも同じことを言ってみた。
でも呆れたように、「もうそれ以前に色々ありすぎたからでしょうが」と言われただけだった。
まぁそうかも。
バカな息子が行方不明になって、一度は死んだものと諦めて。でもウォヌが見つけてくれて、取り戻してくれて。もう一度会うことができて。
身体はまともに動かないっていうのに、バカな息子は異国の病院で幸せそうに笑ってた。
これが日常の中の出来事だったなら、もう少し何かあったかもしれない。
でももう生きててくれるならなんでもいいと思えた後だったから、何も言うことはなかったらしい。
しかも出来る妹が、「孫は私が抱かせてあげるよ」と両親に言ったらしいから……。
「いつか、俺、抱き上げるよ」
ミンギュがそう言ったら、ウォヌは読んでた本から視線をあげたけど、何も言わなかった。
彼と彼のその後 7 END
彼と彼のその後 8
車椅子が必要なくなるのに、それほど時間はかからなかった。
まぁ病気っていう訳でもなく、どこかを壊してる訳でもない。
ただ数年使ってなかったから筋肉が死にかけていただけで、いろんな機能を取り戻してしまえば、いいだけだったからかもしれない。
スポーツ選手だった訳でもないから、早く走れないと困ることもない。
まぁ信号が変わりそうなら多少は小走りぐらいはするだろうけど。
だからいつだって目標は「ウォヌを抱き上げられればいいよ」っていう、聞いた人が大抵は「はぁ」とか「あぁそう」とか、微妙な返答になることをミンギュは言っていた。
多分言ってる本人だけは真剣なんだろうけど。
歩行器が必要だったのに、両手に松葉杖スタイルに変わって、しばらくしたら杖1本でいけるようになった。
だから当然退院が決まって、どこかに家を借りてのんびりリハビリに通うか、韓国に戻って家の近くで病院を探すか。
それを悩む頃には無事に死亡届けの取り消しが裁判所で認められてパスポートの再発行も終わってた。
「戻ったらとりあえず」
ミンギュはそう言いながら、やることをたくさんスマホにメモってた。
家の掃除だってそうだけど、大学の手続きだってそうだけど、ユンジョンハンには最初に挨拶に行かないと何を言われるかも判らない。ってのもそうだけど。
新しい病院も探さなきゃだし、なにより家を探さなきゃならない。
利便性とか言ってられないのに、階段は使えないし、坂道も厳しいし、地下鉄に降りるのにも苦労しそうな場所は避けたい。
「一回、家に帰ってきたら?」
別にそういう意味じゃなくて……と言いながら母親が言った。
どういう意味だよとは思うけど、それを伝えたら「それのほうがいいかもな」とウォヌまでもが言う。
「絶対イヤ。それなら借金背負ってでも、ウォヌヒョンとホテル暮らしする」
せっかく会えたのに。もう二度と離れないと決めたのに。
そんな強い思いで手を伸ばしたら、ウォヌはミンギュの手にあっさりと捕まってくれた。
でも言った言葉は不穏だったけど……。
「それでなくても借金まみれなのに?」
…………………は?
知らぬ間にまみれていたらしい。
いや、俺に借金なんてあった? って真剣な顔して言ったら、「親父さんが持ってきたよ。ほら」と言ってウォヌが見せてくれたのは、ミンギュのためにたてた墓の費用総額が書かれた借用書だった。
一応家族だから、利子は取らないらしい。
景色がいいらしい。春に桜が舞うような場所らしい。
一等地だってとウォヌが言う。
でも行ったことはないとも。
それは知ってるって言えば、ずっと一緒にいたことを思い出したんだろう。
本当なら「なんだよこれ」って文句言いつつ突き返したいけれど、それだって親の愛情だってちゃんと判ってる。
きっと一人息子だったなら、生きてるかも死んでるかも判らなくても、いつまでも待ち続けてくれただろう。
でもミンギュには妹がいて、なにもかもを中途半端にはきっとできなかったんだろう。
そのバカ高い墓の費用に、やっぱり愛を感じる。
「元気になったら、がむしゃらに働くよ」
泣きそうになりながらもそう言ったら、「そうだな。外食は月1で我慢しよう」ってウォヌが言う。
だからそこにも愛を感じて、泣きそうになったミンギュだった。
彼と彼のその後 8 END
彼と彼のその後 9
ミンギュは帰国した。大学にも戻れた。病院にもちゃんと通ったからか、念の為の定期検診の次は来年で良いと言われた。
ユンジョンハンには会うたびに「お前バカだろ」と言われたけれど、事実だからしょうがないと笑ってやり過ごしてる。
そして今も、当たり前のように隣りはウォヌがいる。
「なんか、前より距離が遠くなった」
そうミンギュは文句を言うけれど、「そうかな?」とウォヌは首を傾げる。
「前はだってトイレでだって一緒にいれたもん」
そう言えば、ウォヌは「確かに」と笑ってた。
ウォヌがトイレに入ってても、ミンギュは当たり前のように近くにいて、「そろそろトイレットペーパー注文しないと」とか、言っていたからだろう。
「でもあの時はいつも一緒だったけど、今だってほとんど一緒だろ?」
ウォヌが言う。
確かに……と、思わないでもない。
友達も先輩も後輩も親戚も、戻ったミンギュのことを喜んでくれて身体に無理がなければ……と誘ってくれるけど、ウォヌと少しでも離れるのが嫌だった。
「後遺症かもしれない」
結構本気で言ったのに、「都合のいい後遺症だなおい」と言ったのはユンジョンハンだったはず。
でも本当に、まだ当分しばらくは、ウォヌから離れられそうにない。
ウォヌは笑ってる。
だから呆れてるんだと思ってた。
いつだってウォヌは笑ってる。
だからしょうがないなって、思ってるんだと思ってた。
ミンギュの横で、ウォヌは笑ってる。
満足気に口元だけで笑ってたって、ご機嫌なのはミンギュにはわかる。
だから少しぐらいはウォヌだって、ずっと一緒にいることを喜んでくれてるはずって、そう思ってた。
でも、はじめて訪れたミンギュの借金のもとである結構豪華な墓の前で、ウォヌは泣いた。
「なに? ウォヌヒョンなんで泣くの? 借金のあまりの大きさにとかじゃないよね?」
だから半分以上は笑いを取ろうと思って言ったのに、「1人じゃ絶対、来れなかった」って、ウォヌが泣いた。
抱きしめれば、「外だろ」って言われたけど、そんなの構わない。それに場所が場所だから、きっと大切な人をなくしたんだと思ってくれるだろう。
「ごめん」って言いながら調子に乗ってキスもしてみれば、ポカリと殴られた。でも全然痛くなかったけど。
それからしばらくは口も聞いてくれなかったし、「俺も後遺症」って言いながらミンギュのことを良く叩いてきたけれど、そんなの全然構わなかった。
彼と彼のその後 9 END
彼と彼のその後 オマケ
「は?」って言ったのはミンギュだった。
結構バカ面だったのに「カッコイイあの人」と、周りから声が聞こえてきた。でも動揺してたミンギュには当然届いていなかったけど。
「へー」って言ったのはウォヌだった。
いつも通りの無表情だったのに、「あの人もカッコイイ」と、周りから声があがる。でもウォヌは自分のことだなんて気づきもしない。まぁそれもいつも通り。
「残念〜」って言ったのはユンジョンハンだった。
ケラケラと悪い顔で笑ってるっていうのに、「なにあの人規格外過ぎる」と、周りから声が聞こえてくる。
ジョンハンはその声がした方を振り向いて、エヘヘって笑って会釈をして見せて、あっさりと沢山の人の心を落としてたかもしれない。
長く休んでしまったからミンギュの卒業は遠い。
ウォヌとの差はそれでなくても1年あったのに、もっと開いたかもしれない。
それでもウォヌだってミンギュの側にいた間、1年近く休学してたんだから……と言ったら、「でも俺、なんでか単位貰えてたから」とウォヌがさらりと言った。しかも「ラッキー」とも。
だから来年、卒業できそうとも。
いや嘘だろう。手続きミスだろう。そのうち気づかれて単位は取り消されるだろう。だけどうっかりバレずにそのままになったら、ウォヌだけ卒業してしまう。
だから確認しに行こうと、事務室にまでわざわざ出向いたミンギュとウォヌだった。
事務室周りには説明会なのかなんなのか、まだ大学生でもない学生がたくさんいてやたら目立っていたけれど、そんなこと、気にしちゃいられなかった。
ミンギュとウォヌだけだったのが、途中でジョンハンまで着いてきた。「面白そうだから俺も行こっと」とか言っていたけれど、物凄く楽しそうに笑いを我慢してたから、絶対最初から判ってて黙ってたんだろう。
「休学の申請時にちゃんと、ボランティア申請も出されてますよ」
ただ休んだ訳じゃない。その期間になんらかの活動をすると申請して、それが証明されたら履修したと同じだけ単位がもらえる制度だという。
「は?」ミンギュは驚いていて。
「へー」ウォヌは自分のことなのに関心していて。
「残念〜」ジョンハンは楽しそうに笑ってた。
もちろんウォヌの休学届を出したのはジョンハンだったから、それをしたのだってジョンハンだろう。
「だって俺ぬかりないもん」
そう言ってジョンハンがウケケケと笑う。
ウォヌが卒業してしまう……とミンギュは腑抜けていたけれど、ジョンハンはいつだってぬかりない。
「ほらこれ」
そう言ってジョンハンがウォヌに手渡したのが、院に進むための手続き方法がまとめられたものだった。
「俺の時のだけど。どうせウォヌは就職とか考えてなかっただろ」って。
「そっか、俺卒業なのか」って一瞬納得しかけてたウォヌが、「そっか、俺院に行くんだ」とすぐに流されていた。
そしてそれを聞いて、腑抜けてたミンギュは一瞬で復活してた。
あちこちからの視線を受けてたのに誰も気にしてなかったけれど、大学の倍率は多少あがったかもしれない出来事だった。
彼と彼のその後 オマケ END