噛まれた。右手の、親指の付け根あたりを。ガブって感じじゃなくて、カプリと。妹に。
「オッパ、ミアネ」
いつもは生意気な妹が泣きそうな顔をするから、気にするなと頭を撫でてやる。そうしてバーノンはその日、ゾンビになった。
ドラマや映画の中のゾンビのように、闇雲に誰かを襲ったりはしないけど、いつかはそうなるって話だった。
謎な肺炎が流行った時と同じか、それ以上に早く世界中に広がったそれは、それこそドラマや映画の中では物凄いパニックになって殺して殺されてってバイオレンスな感じだっていうのに、世間は思った以上にまったりとしていた。
それでもゾンビには入れない区域は確実に存在したし、差別まではいかなくても区別はちゃんとされていて、発症してから時が経過するごとにゾンビ度が増すっていう噂は、誰も確証はなくても信じてた。
いつかバーノンも人を襲う日がくるんだろう。
だから少しでも遠くに離れてしまいたかったのに、「待って、待ってボノナッ」って、ゾンビのわりにはスタスタと歩くバーノンの後ろを、ずっと必死に着いてくる姿があった。
ゾンビが人間を追いかけるならまだしも、なんでゾンビのバーノンを追いかけてくる人間がいるんだか。
油断したら笑いそうになる。ゾンビなのに。
「ボノナッ。聞こえてるんだろッ! 俺のこと、ちゃんと判ってるだろッ!」
そりゃ判ってるに決まってる。まだゾンビになりたてで、何もかも覚えてるってのに。
でも止まらなかった。振り返りもせずにバーノンは歩き続けた。
でも、離されても必死にスングァンは追いかけてくる。
それからスングァンが転んだ。必死になりすぎて、足元を見てなかったんだろう。
一瞬止まりかけた足を無理やり動かして、でも視線の端に、片足を引きずりながらもまだ必死について来ようとする姿があった。
足は昔からケガしてばかりで、それでなくても弱いってのに............。
「待って、待って、待ってッ!」
必死に叫んでるその声が、少しずつ小さくなって行く。
それからまたスングァンは転んだ。今度は盛大に転んだついでにどこかから滑り落ちていた。きっとあちこち擦りむいたりもしただろうに、そんなこと気にもしないのか、また必死に立ち上がって、「ボノナ、ボノナッ!」って叫びながら追って来る。
だからなりたてと言えどもゾンビなのに、バーノンはため息をついた。
「何やってんだよ。俺もうゾンビなんだぞ。追いかけて来るなって」
ヨタヨタになりながらも必死に歩き続けるスングァンに、それでもある程度距離を取りながらもそう言ったのに、「関係ないよ。お前はお前なのに、ゾンビなんて関係ないッ」とか、それこそいつもと同じ感じで言う。
でももう一緒に並んで歩けたりはしないのに。
「俺、いつかその辺の人を襲うんだよ。色んな人に噛みついて、人間だってきっと食うよ」
「全然大丈夫だよ。アイドルやってたって残飯処理係だったんだから」
必死な感じでスングァンが言う。なんだか、ちょっとだけバカにされたんじゃないかと一瞬バーノンが考えた間にも、スングァンは間合いを詰めて来る。
まだ話せてるから、それほどゾンビっぽくないから、きっとまだ未練があるだけ。それを判ってても何も躊躇しないスングァンのその姿に、思わず絆されそうになる。
「帰れよ。これ以上ついてきたら、1人で帰れなくなるぞ。ヒョンたちが心配する」
その言葉に、スングァンは一瞬泣きそうな顔をした。やっぱり大好きなヒョンたちの顔が浮かんだんだろう。でも............。
「嫌だ。俺はお前と行く」
そう言って、やっぱりヨタヨタと間合いを詰めて来る。
バーノンは泣きそうになった。ゾンビなのに。自分の言葉に自分で傷ついてもいた。バーノンの中にだって、優しいヒョンたちの顔が浮かんだから。たった一人の弟のディノの顔だって。それでもスングァンは自分を選んでくれるという。それに喜びそうになったけど、喜ぶ訳にはいかなくて悲しくなって。
「もうついてくるな」
そう言って、スングァンに背を向けることしかできなかった。
もう振りかえらずに足早に歩く。後ろで慌てたようにスングァンが走り出そうとして、また転んだのは音で判ったけど、グッと耐えて無視して歩いた。
だって連れてはいけないから。もう手を繋ぐこともできないから。いつか誰かを噛みたくなったとしても、スングァンだけは噛みたくないから。
それなのに、最後の手段だとばかりにスングァンが叫んだ。
「わぁぁぁッ! ボノナッ! 助けてッ! 噛まれちゃう、知らないゾンビに噛まれちゃうッ!」
そんなの、助けに駆け戻るに決まってる。
必死に走って「スングァナッ!」って叫びながら、戦うべきゾンビの姿を探したのにそこにはそんな姿は全然なくて、「ほらやっぱり、戻って来たッ!」って言って抱き着いてきたスングァンがいただけだった。
抱きしめられるその感触も力強さも、人間だった時に感じたものと、一緒だった。まだゾンビになりたてだからかもしれない。
「バカ。離れろって」
そう言っても、スングァンは絶対に離さないって力を余計に籠めるだけだった。
ゾンビだからか、多少強めでも痛みはそれほど感じなかった。
スングァンの首筋が目の前にあっても、口づけたいとは思っても噛みたいとは思わなかった。
「一緒に行く。俺も行く」
「お前もゾンビになってもいいのかよ」
「ボノニと一緒ならいい」
「バカだろお前」
「バカでもいい。俺、歌って踊れるゾンビになれると思う」
「..................ゾンビになっても、騒がしそう」
スングァンは離れなかった。
きっと絶対後悔する。それが判ってるのに、バーノンはスングァンの右手の、親指の付け根あたりを噛んだ。ガブリとじゃなくて、カプリと。
そしてスングァンもゾンビになった。転んで擦りむいたはずの傷は、すぐに痛くもなくなったらしい。唯一の救いだったかもしれない。
「俺、絶対シュアヒョンに怒られる」
「うん、一緒に怒られてあげるよ」
「お前はハニヒョンに怒られると思う」
「うん、一緒に怒られてよ」
バーノンの横をスングァンが歩く。
ゾンビだけど、2人で手を繋いで歩く。
時折スングァンは歌いながら歩く。ゾンビだけど、やっぱりスングァンはキラキラ光ってた。
The END?
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バーノンがゾンビになった日、3日後
それはミンギュの妹からの情報だった。
バーノンの妹とは元から仲良くて、一緒にショッピングに行こうと誘ったら、ゾンビになったからもうお洒落はできないと泣いていたらしい。それから、バーノンのことも噛んでしまったと......。
慌ててバーノンを探すもいなくて、気づけばスングァンもいなかった。
明らかについていったんだろう。
スングァンが人間のままなのか、ゾンビになったのかは判らない。でもきっと離れられないはずだから、結果はそれほど考えなくても判ってしまう。
噛まれたらゾンビになる。それは世界中を震撼させたけど、ゾンビになっても案外普通だったから、世界が拍子抜けして、それからしばらくは様子見が続いてた。
もちろん例外はあって、本当に映画の中のゾンビみたいになってしまう人もいた。
だから噛まれたらゾンビになるというよりは、ゾンビのキャリアになるんじゃないかって言われてた。でも痛みは消えるらしいから、痛みを耐えて生きてる人たちにとってはそれは救いでもあったかもしれない。
「見つかったか?」
戻って来たエスクプスとミンギュに聞いたのはジョンハンだった。本当はジョンハンだって探しに行きたかったけど、「お前(ヒョン)は体力ないじゃん」とほぼ全員に言われて、宿舎で連絡を待っていた。ドギョムとディノと一緒に。
「ちゃんと探したのかよ。異様に見目の良いゾンビがこの辺にいませんか?って、聞いた?」
ジョンハンがそう言うのに、エスクプスが「聞いたって。派手なゾンビ見なかったかって聞いて回ったけど、誰もゾンビなんてまともに真正面から見ないんだって」と言い返してくる。
まぁそう言われれば、ゾンビだと判ったら誰だってそれとなく距離を取るから。
でもジュンとウォヌからは、「たぶん見つけた」って連絡が入った。
聞けば「変わったゾンビ見なかった?」って聞いて回ったらしい。そうしたらすぐに、「あっちの方で楽しそうに歌って踊ってるゾンビがいた」って情報が入ったとか。
それはもう絶対にスングァンだろうと、全員がホッとする。
別の場所を探してたホシやウジも合流して、96ラインが集中的にその辺を探すというから、きっとすぐに見つけるだろう。
「シュアは? それで戻ったのか?」
「いやまだ」
ジョシュアは手にいれた薬を持って、バーノンの妹を尋ねていた。
発症を遅らせる薬だというそれは、高額と言えば高額で、でも手に入らないほど高額ではなくて。まだ世間では出回ってないけど、知ってる人は知ってるようなもので。時間稼ぎにはなるだろうし、もう少しすればちゃんとした薬もできるって話だった。
なにせ世界中の金持ちたちが、長く生きられる可能性をそこに感じたのか、研究費を惜しまなかったそうだから。
「俺も行こうか」とドギョムは言ったけど、「いやお前はいい」と断られた。
「俺も行くよ」とディノも言ったけど、「いやお前もいい」と断られた。
2人は何もできなくて不満顔だったけど、「お前は血液が特殊だから、ゾンビに噛まれたら一発アウトかもしれないだろ。それにチャニはダメだ。お前に何かあったらと思うと、それだけでもゾッとするから」とジョンハンに言われて、しぶしぶ、本当にしぶしぶ待っていた。
「連れて帰る」
その連絡は、ウォヌから入った。
全員でホッとしてかなり脱力した中で、ミンギュがなぜか一人「ねぇ、ゾンビって何が好きなの?」とか言い出してさらに全員を脱力させていた。
戻って来る面子のためにも、料理をはじめるつもりらしい。
「たぶんスパゲテイとか?」物凄い適当なことをエスクプスが言った。
「まぁ、ニンニクが入ってなければ大丈夫だろ」ジョンハンも大概適当で。
「でもペペロンチーノ食べたいかも」ドギョムが勝手なことを言う。
「辛すぎるのは苦手」ディノまでもが自分の好みを言い出した。
鎖骨を骨折していたために本当に1人ジッとしていたディエイトが、「あったかいものにしよう。内臓から温めないと」とか、物凄い真剣に言い出した。
確かにゾンビは体温が少し低そうだってはなしになって、結局スンドゥブをつくりはじめたミンギュがいた。
The END
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