注意......
多分。続きモノです。
はじめて「天使が空に」を読まれる方は、contentsよりお進みくださいませ~
天使が空に S.coups side story
ジョンハンはあの日のことを、忘れてないけど、胸のど真ん中とかには残ってないよと笑うけど、エスクプスの中では長い間、それはど真ん中にあった。
短くなった髪を見て、悪くないと笑うジョンハンを見ても、全然納得できなくて。
最後の日に「納得できない」と言ったディノを止めたのは自分だったはずなのに、多分一番納得できてなかったのは自分だった。
「イ・チャンッ」って言ったジョンハンの声は、強かったけど不安も含まれていて、思わずエスクプスだって立ち上がってた。
全体を見て、自分が率先して動いて、弟たちを守らなきゃいけなかったはずなのに、ジョンハンが殴り倒された時から、何も見えなくなった。
それでもかろうじてドギョムの名を呼べたのは、特異な血液型で、いつだってあいつだけはケガのないようにしなきゃって日頃から思ってたからかも。
でもウジだって吹き飛ばされて、それを自分の身体で守ったミンギュだって崩れ落ちていて、ディノはまだディエイトと一緒に入り口近くにいて。
そんな色々だって確かに見てたはずなのに、長い髪が赤く染まっていくことにばかり、意識が奪われていた。
冷静さはどこにもなくて、リーダーらしいことなんて何一つしなかった。
救急車に一緒に乗って行く時だって、まだ現場はパニくっていたっていうのに、それすらも全部置いてきてしまった。
こんなんじゃ死なない。絶対に死なない。ただそう思うことに必死だった。でもそれが言い訳になるとは思えない。
救急車に一緒に乗って、テレビドラマの中みたいに病院の中だって台車に乗せられたジョンハンの横を一緒に早足で移動したっていうのに、処置室みたいなところでエスクプスは足止めされた。
それだってテレビドラマの中みたいだったけど、ジョンハンが見えなくなった途端に、自分の立ってる地面が崩れ落ちるんじゃないかってぐらい、グラグラになる。
「ジョンハナッ! ジョンハナッ!」
その扉が開くたび、中を覗き込んで叫ぶ。
ジョンハンには自分の声が届かないとダメだって、本気で思ってたのかもしれない。それとも、叫びでもなしないと、自分がダメったのかも。
自分がこんなんじゃ、ジョシュアは冷静でいるしかなかっただろう。後から思えば申し訳ないことをしたとは思えるけれど、その時は必死すぎて、ジョシュアにだって縋っていたかもしれない。
当たり前みたいにそこからは入っちゃいけないっていうドアなのに、ジョシュアがエスクプスのことを連れて堂々と入り込む。当然静止する人がいるのに、ジョシュアは怯む様子すら見せない。
「コイツの方が倒れそうなんで」って言いながらエスクプスのことを押し出したジョシュアは、エスクプスのことをジョンハンの側へと導いてくれた。
その時の自分の顔色や、息遣いや、そんなものがどれぐらい逼迫してたのかなんて判らない。でもジョシュアがいなければ、絶対にそこには行けなかったはず。それだけは確かで。
ずっと側にいたはずなのに、その手だって掴んでたはずなのに、いつのまにジョンハンの髪がバッサリと、部分的だったとはいえ切られてたのかなんて、気づいてもいなかった。
気づいてたら止められてたのかと言われると自信はないけれど、そういう意味でも自分は役に立たなかった。
でもそれで落ち込んだのはもっと後で、やっぱりその時は医者がもう大丈夫と言ったって、何が大丈夫なのかも判らなくて、全然信じられなかったけど。
何度もジョシュアの顔を見て、その時はジョシュアの言う言葉だけを信じてた。
もう医者だとか医者じゃないとか関係なくて、ジョシュアは嘘をついたりしないっていう関係性だけが、唯一信じられるもので、縋り付いた場所だった。
エスクプスがジョンハンの側に居続けた間にも、ジョシュアは何度もウジやミンギュのところや、弟たちがいる病室や、マネヒョンや会社のスタッフたちとのやりとりも含めてバタバタしてたはずなのに、そんなことにも気づいていなかった。
警察が来てるって話は、何度かジョシュアもマネヒョンも、言ったかもしれない。
マネヒョン以外の事務所の人間だって来たはずなのに、話した記憶もない。
ジョンハンとジョシュアと3人で事務所の人たちと話した際には、その場に副社長もいて、でもそれ以前にも絶対に駆けつけてくれたはずなのに、やっぱり記憶はなかった。
覚えてるのは握ってたジョンハンのその指が、男の割には細くて。
同じ指輪をしてるのに、全然自分とは違うってことばかりが気になってた。
はじめて会った時には、まだ細くてそれほど大きくなくて。こんなに強気な奴だなんて知らなくて、なんなら弱そうにも見えていた。
その時は全然、こんなに大切な存在になるだなんて気づいてもなくて。
あぁでもいつのまにこんなに、いないことが考えられない存在になったんだろう。
大切な弟たちだって誰一人失えない。チングのジョシュアだって当然失えない。
でもジョンハンは、失ってしまえば自分の一部か半分ぐらいが持ってかれる気がする。
きっともう、いなきゃ生きていけない。
麻酔が効いているからと言うけれど、その手を繋いで体温を分け与え続けなきゃ、冷たくなってしまいそうで、ジョシュアかマネヒョンかも判らないけど、ペットボトルを差し出されたけどそれを手に取る気にもならなかった。
それから結局、ジョンハンを病室に運ぶと言われるまで、側に居続けた。
ジョシュアと看護師の人と、医者と、ジョンハンをこれから病室に移すってことで、なんでか長く話てた。
何か注意事項でも聞いてるのかと思ってたのに、その病室の中に誰もが簡単に入れないからだとは、正直思ってなかった。
麻酔が切れた後に痛みが出る場合があるとか、麻酔が強く残ってふらつく場合もあるからベッドから立ち上がるのは極力控えて欲しいとか、そんな注意点はちゃんと聞いていたのに.........。
ジョンハンはベッドごと運ばれて、そのまま病室に収まった。医者も看護師もついて来てたけど、病室には入らなかった。
エスクプスとジョンハンの帰りをそれぞれが喜んではくれたけど、心の底からには見えなくて、決して暗くはない病室の中に影がさしているかのようだった。
いつだって気遣ってくれて、それから笑ってくれるジュンが笑ってなかったのが一番に目に留まった。それからどんな時だって誰かのヒョンの間でちょこまかとしながら、でも楽しそうな笑い声を聞かせてくれるディノの声が聞こえないことにも気がついた。
どんなに静かでも、柔らかく笑ってることの多かったディエイトには表情がなくて、ウォヌもホシも心ここに在らずって感じで。
それから、スングァンがパニックになる姿を見た。ここにはいないジョンハンに向かって逃げてと叫ぶその姿は堪らなかった。でもいつもなら一番のほほんとして自由に生きてるバーノンが一番痛々しくて、それがまた、辛かった。
自分が守らなきゃいけなかった弟たちが、あちこち傷ついて、そこにいた。
何かを怖がって叫ぶスングァンのことをジュンが抱きしめていた。だから何度かエスクプスだって同じことをした。
なんでお前、そんなに怖がってんの? なんて気持ちはなかった。
だって自分だって同じぐらい、あの時怖かったから。
「もう大丈夫。ほら、ジョンハニはそこにいるだろ」って声は全部、自分に向かっての言葉だった。
抱きしめて、背中を擦って声を掛け続ければ、不意にスングァンは正気を取り戻して、キョトンとした顔をする。それから抱きしめているエスクプスにハグを返してくれて、「なになにクプスヒョン、どうしたの?」って笑う。
不安そうなエスクプスのことを逆に気遣う素振りまで見せるスングァンに、余計に不安になっても、問い詰めることなんて誰もできなかった。そうしてしまえばまた、スングァンが叫びはじめるんじゃないかと思って。
エスクプスの代わりに戦ったジュンも、エスクプスの代わりにディノを守ったディエイトも、エスクプスの代わりにドギョムを引き留めたホシも、エスクプスの代わりに弟たちを守ろうとしたウォヌも......。ミンギュも、ウジも、ジョシュアも、ディノも。
みんなみんな、エスクプスの代わりに何かをして、きっと傷ついて、少しずつ何もできなかったと落ち込んで、スングァンの叫び声を聞いていたはず。
ジョンハンが目覚めて、ジョンハンに一番にその身を案じられたドギョムが泣いた。
自分だけが何もしなかったって言いながら、俺ばかり守られたって言いながら。なんでなんで、なんでそんなにって、言葉を詰まらせながら。
あんまりにもドギョムがボロボロで、ジョンハンからも離れられなくて、もはやどっちがケガ人なのかも判らないほど。ドギョムはジョンハンの横に寝ころびながら、「もうちょっとだけここにいていい?」とか言いながら寝てしまった。それもスングァンが叫ぶまでの僅かの間だったけど。
驚いてたのはジョンハンだけで、その手を思わず強く握っていた。
ごめんって意味を込めたつもりで。
その手をジョンハンが握り返してきた。かなり強く。ギュって。
寒い時のように、その手が震えてる気がしたのは、気のせいだったのかもしれない。だってジョンハンはいつも通りの声で、「俺が戻ったんだから、もう少ししたら落ち着くだろ」って言ったから。
誰もがそれを信じてた。でもスングァンは何度も叫んだけど。
朝が来たら。
ヒョンとしてもリーダーとしても、何かはしないといけなくて。
朝日を浴びてもスングァンがこのままなら、エスクプスは医者と話して、それからマネヒョンと話して、事務所の、きっと副社長たちとも話すことになるだろうって、覚悟を決めてた。
一度、落ち着くまでグループを離脱してって言われたらどうしようと、それを自分はちゃんと冷静に拒否できて、スングァンのことを守れるかってことまで、考えはじめてた。
何が正解なのか。それすらも判ってないってのに、奪われたくないってのはただの自分の気持ちでしかない。それがグループのためにも弟たちのためにもスングァンのためにもなるのか、グルグルと考えたって不安しか生まなくて。
なのにあっさりとスングァンのことをストンと落ち着かせたのは、ウジが「五月蠅いッ黙れッ。今何時だと思ってんだ」って叫んだから。
一番最後に戻って来たウジだって、はじめて叫んだスングァンに驚いたはずなのに。
いつだってホシと2人でエスクプスのことを支えてくれるウジは、「俺は俺にできることをやってるだけだよ」って言うけれど、何もかもをやらせてしまってる気がする。
それなのにそんなウジに何かを言えるのは自分だけでもあってと、一時期は頑張ってくれてるウジにむかって、会社やメンバーたちの要望や不満や希望やらを、一方的に押し付けてばかりだった。
それでもウジは「ヒョンとスニョイは判ってくれてるあら、大丈夫」と言って、黙々と働いてた。
踊り疲れた後でも、仕事場で無駄に待たされてる間も、宿舎に戻ってからも。
たくさん支えられて、守ってやらなきゃいけない弟から逆に守られて、だからこそ自分は統括リーダーとして、全員を守らないといけないのに。
でもきっと今度もウジは言うはず。「俺にできることをやっただけだよ」って。
「あぁもう、番号ッ!」
ウジの声が病室に響く。
その言葉に、反射で答えた。聞きなれた言葉は、移動する前には必ず口にしてたから。
エスクプスの次には当然のようにジョンハンとジョシュアが続く。
言い慣れた番号を、順番に口にしていく。
そしてそれがスングァンのところで止まった。
全員がスングァンのことを見てた。
「ほら、お前だろ」
ウジのその言葉に、スングァンが「ジュウイチ」って言えば、当然その後にはバーノンとディノが続く。
そうしたら今度は「13だ......」って驚いていた。
その気持ちだって、やっぱり判ってしまう。
それはただの数字で番号なのに、それでもちゃんと最後まで続いたことに安心して、それから感動して、普通とかいつもって言葉が決して当たり前じゃないんだってことまで考える。
スングァンはその後、朝まで目覚めなかった。
何かがストンと、スングァンの中でどこかに落ちて落ち着いて、安心できたのかもしれない。
それをやってのけたのは、誰がどう見てもウジで、自分じゃなかったことに凹むかと思ったのに、それ以上にホッとして、落ち込むこともなかった。
落ち着いてみたらいつも通りで、ジョンハンは頭に包帯を巻いてるってのに、弟たちのことをいつものようにちゃんと見てた。
あちこちで、順番に寝る場所を譲り合ったりして13人で寝てる。
夏に暑過ぎてリビングに集まって寝た時よりも、密集度は低かったし、ヨソドで重なりあうようにして震えながら寝た時よりも、環境はマシだった。
でもどこにいても13人はいて、それだけが大切で、それだけは譲れなくて、それだけ絶対で。
叫ばなくなったけどスングァンは見知らぬ人間にはまだビクついていて、だから病室には自分たちの他にはいつも一緒にいたマネヒョン1人しか入れなくて。
そこは、心地よい場所だったかもしれない。
自分たちしか入り込めない世界。
普段は見知らぬ場所で見知らぬ人たちに囲まれて、それが当然だったけど、そんな場所でもきっと、心の中はここと同じように、自分たちしか入れない場所がある。
それが明確になったこと、それだけが唯一、今回のいいことだったかもしれないと、本気で思ってた。
ジョンハンが1人だけ呼ばれた時、エスクプスは一緒にいた。そしてそのまま着いて行った。
「どうせ検査とか、経過観測とか、包帯の交換とか。そういうことだろうし、一緒に来ても廊下で待たされるだけだって」
そうジョンハンは言ったけど、「いい。廊下で待つから」て言って、離れなかった。
それにジョンハンなら絶対、医者だろうが看護師だろうが、誰を相手にしたって「コイツも一緒でいいですか?」って言ってくれると信じて疑ってなかった。
でも、呼ばれた先には医者なんていなくて、会議室なのか応接室なのか、そんな場所を借りて待っていたのは、副社長や事務所の人間だった。そして当然って感じで、「ユンジョンハンだけ」と言われた。
ジョンハンを見送って、ドアが閉められる。
でも、絶対にジョンハンは1人で事を進めたりはしない。ことセブチに関してのことなら、絶対に。
そこだけは絶対的に自信があって、だからエスクプスは当然のようにジョシュアを呼び出した。
待つってほどのこともなく、ジョンハンが当然のように出てきて、そこに2人が揃ってることに笑った。2度手間になるからと、やっぱり3人で話を聞くことになった。
そこには事務所の人間に、副社長までいた。
思わずヒョンと言いかけてグッと我慢した。
何があったってどうしたって自分は、会社側じゃなくてメンバー側に立つと決めてたことを思い出したから。
事情を聞けば、バカみたいに理不尽で、セブチには何の関係もなくて、それなのに金の力で解決しようとしてて。
「なに? なに言ってんの? 俺らがそれで、わかったって言うと思ってんの? ふざけんなよ」
当然エスクプスは怒った。
スングァンはまだ怯えてて、そんなスングァンを守れなかったとバーノンは傷ついてて、判りにくくても弟たちが全員、何かを考えて打ちのめされていたのだって知ってる。
実際に傷ついたジョンハンがいて、ウジだって目覚めたから良かったようなものの、打ち所が悪ければどうなっていたか判らないのに。
正義からじゃない。ただただ自分たちのための怒りでしかなかった。
裁かれろと思った訳でもない。
でも許しなんて気持ちは、正直どこにもなかった。
ジョンハンが戸惑ったような顔をしてた。誰の気持ちに寄り添えばいいのか判らなかったのか、そんなことを言われても困るって気持ちだったのかは判らない。
ジョシュアは無表情だった。たぶん怒ってる。
誰にも判らなくても自分とジョンハンには判る。
怒ってても笑ってて、大抵それとは判らない。無表情でいることの方が珍しいけれど、それは今、弟たちがいないからかもしれない。
それでも話なんてこれで終わりで、許すなんてことには絶対にならないと思ったのに、ジョシュアが聞いた。
「俺たちの、メリットとデメリットはなんですか?」
驚いたのはジョンハンも一緒だったのか、思わずジョシュアのことを2人してまじまじと見てしまったけど、どこまでも冷静な男はそれだけ怒っているのか、いつもは柔らかく笑って前に出てくる方が珍しいのに、絶対に油断しないみたいな目をしてた。
「デメリットは、全てを飲み込んで忘れることで、メリットは移動車が1台増えて、当然運転手も必要だから専任のマネージャーが1人増える」
それは魅力的な話ではあった。
13人もいるから移動車が2台ではやっぱり窮屈で、誰かが別の仕事に向かうことになれば必然的にタクシーを呼んでもらうことになって、現場から1人で移動することの多かったウジは疲れてるのに休むこともできずに、負担ばかり強いていたから。
エスクプスのことを支えながらも全体の面倒を見てくれてるマネヒョンだって、大変なはずなのにそんな素振りは見せないで、宿舎の隅っこで、時には移動車の中で死んだように寝てるのを知ってる。もう1人増えれば、確実に負担は減るだろう。
許せない気持ちは当然ある。でも自分は統括リーダーで、セブチのことも弟たちのことも守らなきゃいけなくて、メリットが本当に自分たちのためになるなら、何かを飲み込む必要があるなら............。
悪くない。悪くないけど。踏ん切れなかったエスクプスの横にいたジョンハンが「悪くないよ」と言った。それは本気で、そう考えてるって感じで、なんの気負いもなくて。
一番被害を被ったはずなのに、ジョンハンはいつも通りにエスクプスとジョシュアのことを見てた。
こんなことが起きなきゃこの話は目の前に差し出されなかった話で、でもそれをチャンスと捉えるか、絶対に許せないと頑なに居続けるか、選択肢は自分たちにある。
エスクプスがそのラインでまだ悩んでいるというのに、ジョシュアはとっくにそこは超えていたんだろう。
「じゃぁ、会社のメリットは?」
物凄い冷静な声でそう聞いて、事務所相手にだって引かないその姿勢に、思わずジョンハンと目をあわせたほど。
絶対に自分1人じゃ聞かなかった言葉だった。会社から聞き出した会社のメリットは確かにメリットで、それは聞かなきゃ教えて貰えなかったかもしれない。それとも首を横に振り続ければ、いつかは教えて貰えたのか。
でもそれを、悔しいとも思わなかった。ある意味会社が自分たちの価値をちゃんと判っててくれてる気がして、安く見積もられなかったことにホッとしたほど。
「それはセブチだけが?」
ジョシュアがそう聞けば、ちゃんと「いや、セブチもだ」と答えてくれた。
「どうするかを決める権利は俺たちにあるってことでいいですか? それとも事実を捻じ曲げる今後の予定を伝えただけですか?」
そう言ったジョシュアの言葉には、副社長が「決める権利はお前らにある。だけど会社としてはこのチャンスを逃したくない」って答えてくれた。きっとそこには嘘はない。
どこまでも突き詰めるジョシュアとは違って、その言葉を単純に信じてしまう自分はやっぱり甘いのかもしれない。でもどうせなら、自分たちだけじゃなくて会社も一緒に登って行きたいとも思う。
セブチを守りたくて、チングと弟たちは絶対に守りたい。そこさえどうにかなるなら、余裕があるならマネヒョンたちだって事務所のヌナたちだって、会社全体だって守りたい。手を広げていくなら、最終はカラットたちだって守りたい。そうも思ってるんだから。
気づけばぬかりのないジョシュアは3人での時間も欲しいと口にして、回答までには1時間の猶予までもぎ取っていた。
でも結局、3人での話し合いは10分もかからなかったかかもしれない。
それは3人とも、この話を悪くないと思っていたからで、ジョンハンなんて3人だけになった途端、ちょっと楽しそうな顔すらしてた。
「どうせなら3台新車で揃えてくれって言ってみようぜ」ジョンハンが悪だくみする時の顔で言うから、エスクプスだって思わず「ダメもとだけど、案外いけるかもな」と乗ってしまった。そうしたらやっぱり強気なジョシュアが、「判った。じゃぁそれ、俺が言うから」と言い出して、きっとそれすら勝ち取る気なんだろう。
自分が言うと言ってくれたのは、きっとエスクプスが身内には優しいからで、強気に見えるジョンハンだってやっぱり優しくて、いざとなれば押し負けるとでも思ってるのかもしれない。
無理はするなよっていう意味で背中を軽く叩いたのに、隣りにいたジョンハンはお前に任せたっていう意味なのか強く背中を叩いていて、普段なら面白くリアクションを取ってくれるジョシュアが無反応で。やっぱり少しはジョシュアだって力が入っていたのかもしれない。
「移動車3台全部新車で揃えてくれれば、全てを飲み込んで忘れます」
当然のようにジョシュアが言った。きっとエスクプスがそれを言えば、話し合いの余地はまだあるとでも思われたかもしれないけど、ジョシュアが言えば、それはギリギリの譲れない場所だと思わせることができる気がする。
そして望みはあっさりと叶った。当然喜びもしたけれど、このことは弟たちには言わないと決めた。ウジにはバレるだろうし、ウジにバレたら結局はホシや96ラインまでにはバレるかもしれないけれど、96ラインはきっと共犯者になってくれるはず。
「色んなスッキリしない思いは全部、俺たちだけが判ってればいい」
エスクプスがそう言えば、ジョンハンは「お前は真正面から怒ってみせろよ。誰かは正論を吐かなきゃいけないし、俺がそれを説き伏せるから」と言ったし、ジョシュアは「大丈夫だろ。俺たちにデメリットなんてないよ。それにもう、お代分以上の犠牲は払ってる。それに俺が、押し通すよ」と言った。
情けない自分が統括リーダーとして立っていられるのは、頼もしすぎる2人がいてくれるからって言うのは判ってる。ちょっとだけ泣きそうになったけど、あんまりにもジョシュアが強気で豪気だから思わず笑ってしまった。
「俺、お前が一番タチが悪いと思う」
エスクプスがそう言えば、ジョンハンまでもが「うん。俺もお前だけとは本気で争いたくないわ」が言ったし、ジョシュアは「失礼な」と真面目な顔をしていたけれど、結構本気だった。
あぁでも、ジョシュアが怒るなんてことは、滅多になくて良いとも本気で思ったけど。
後はもう踏ん張るだけで、何を言われたって自分が揺るがずにいればいいだけだったはずなのに、そんな気持ちは、一部分とはいえジョンハンの髪がすっぱりと切り取られてるのを見て、一瞬で打ちのめされた。
当の本人は「およ」って変な声を出しただけだった。
でもあの長い髪に触れるのが好きだった。何気ない日常で、ラーメンを食べようとするジョンハンの横で、自然にその髪をまとめて持ってやるのが好きだった。撫でてやって、時々はその髪に口づけた。
不思議なくらい良い匂いがして、でもそれは何かの匂いとかじゃなくて。
同じ世界でも髪を伸ばしてる人は多くいたけれど、ジョンハンほど似合ってて綺麗な人間なんて見たことがない。いつだってそう言えば、「完璧お前の欲目じゃん」とジョンハンは笑ってたし、「ほかでは言うなよ、そんなこと」とジョシュアには諫められたけど、でも、嘘じゃない。
世界中のカラットたちにだって申し訳が立たない。
「お前、俺の髪が短くなったら、俺のこと好きじゃなくなるの?」
ジョンハンにそう言われて、「そんな訳あるかよ」とは言ったけど、やっぱりグチグチと「でもあんなに似合ってて、綺麗なのはお前だけだった」とも言ってしまった。
もしもあの日のことを、いつまでも口にできる環境だったら、それは何度もエスクプスの口にあがっていたかもしれない。
「わぁハニヒョン、なんで急にイメチェン? でも似合ってる。どんな髪型でもやっぱりハニヒョンはハニヒョンなんて狡いよ」
そう言って、髪が短くなったことに素直に喜んだのはスングァンで、物音や見知らぬ人に怯えなくなってみれば、スングァンの中からあの日の出来事は消えてしまっていた。
時々、「なんか俺らいつか、全員で病院に泊ったことあったよね? あれってなんでだったんだろ」とか言うこともあったけど、思い出しはしなかった。よっぽど怖かったんだろう。
だから誰もあの日のことを口にしなくなり、それが余計に良かったのかもしれない。
それからしばらくして、ジョンハンはさらに髪を短くした。
やっぱりスングァンは素直に、「ハニヒョンなんでキレイなのにカッコイイも持って行くんだよ。反則だよ」と文句を言ってるのか褒めてるのか。
退院が決まった日は雨だった。
ウジとスングァン以外を集めた。やっと叫ばなくなって笑うようにもなったのにまだ怯えるスングァンには聞かせたくなくて、それを察したウジが「俺がに残るよ」と言ってくれた。
今回の件は表沙汰にしないって説明に納得できないと言ったのはディノだけだった。
絶対にホシあたりが怒り出すと思ったのに、何も言わなかった。
「俺が決めた」
本当は1人ずつ抱きしめて、謝って、それから説明して、なんなら許しだって乞いたいぐらいだったけど、言ったのはそれだけだった。
The END
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