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社内恋愛がはじまる世界線
エスクプスがユンジョンハンの名前を知ったのは3年前の1月だった。
それは新人2年目の終わりで、先輩と一緒に動き回ることはなくなったといっても、何かあれば先輩や課長やらがしゃしゃり出てくるような、そんな中途半端な時期だったのに、1月の終わり頃に社内通報が回ったから。
発信者はユンジョンハン。
それはバレンタインのチョコは受け付けないっていう内容だった。義理だろうが友だろうが日ごろのお礼だろうが本気だろうが受け付けないし、それでも貰ったものは、何かの入れ物にチョコだけをバラして入れて、バレンタイン翌日に冷蔵庫の中で『ご自由にどうぞ』と付箋が付けられますって、見本の画像まで添付されていた。
まさかの仕事以外での社内通報を出す奴がいるとはと驚いて、それが本社勤務でもない釜山支社の人間で、さらには自分と同期と知って、「釜山に凄い新人がいる」と話題になっていた。
バレンタインなんて、去年は部署の先輩と掃除のおばさんと、取引先の人から明らかな義理で4つしか貰わなかったエスクプスとしては、一体どれだけ貰ってんだ......って話だったけど、特に仕事以外の通報を出したことで指導が入ったとも聞かなかった。
それ以来、釜山に出張が入ったら絶対顔を拝んでやろうと思ってたけどその機会は全然訪れなかった。
でもユンジョンハンが逆に、本社にやってくることになった。
国からの仕事をどうしても獲得したい上が、特別タスクフォースを組むという。各部署からデキのいい奴が集められることになり、エスクプスだってジョシュアとともに指名が入ってた。
ジョシュアと2人で、1人誰か補佐として後輩を引っ張って良いと言うから、話し合ってホシに声をかけておいた。
時々暴走するしたまに大失敗もするけれど、それでもなんでも素直に学んでいくホシのことは、気に入っていたから。
「なんでだよヒョン。俺を選んでくれたら良かったのに」
ミンギュはそう言ってムクれていたけれど、2個下なのになんでも器用にこなすミンギュは既に幾つも仕事を抱えていて、それを平行して特別タスクフォースは厳しいだろうとジョシュアと意見が一致したから。
「釜山野郎なんかに俺は負けない」
もう少しでユンジョンハンに会えるって日に、なんでかホシが怒ってた。
本社ではエスクプスとジョシュア、2人で補佐はホシ1人だというのに、釜山からくるユンジョンハンは、1人のくせに補佐を2人も連れてくるという。
「まぁ、俺たちは働くにしても移動するにしても、会社内でも当然地盤があるからだろ」
ジョシュアがそう言って笑ってるのに、「俺が2人分働くよ」って、ホシはやたらと好戦的だった。
でも結局、ユンジョンハンは1人でやって来た。いや実際には補佐役の後輩1人は連れてくるらしいが仕事の都合で2日ほど遅れてくると言う。でもそんな話、誰も聞いちゃいなかった。
だって、ユンジョンハンは社会人なのになんでか金髪の、でもそのド派手な頭に全然顔が負けてない超弩級の美人で、キリッとした表情でいると冷たそうにも見えたのに、笑うとビックリするぐらい可愛かったから。
「ユンジョンハンッ! なんでお前金髪なんだよ」
本部長が驚いてそう口にするのに、ユンジョンハンは美人だとか綺麗だとか全然考えてないのが丸わかりの顔で、二カッと笑った。
「本部長命令じゃないですか。派手に登場しろって」
そう言う意味じゃないと本部長は頭を抱えていたけれど、「ウジなんて白スーツと白エナメルで行けって言ってたし、ウォヌなんて花束用意しようとしてたのを、俺はちゃんと止めましたよ」と笑って言うユンジョンハンは楽しそうで、その場にいた全員の視線を奪ってたし、きっと一瞬で恋に落ちた人もいたはず。
キックオフ的な場を設けるっていう話もあったのに、コロナの影響で人が集まるのはよくないと、簡単な挨拶のみで仕事ははじまってしまった。
どれぐらいやり手なんだろうと本社の人間はほとんど全員が様子を伺っていたかもしれない、特に野郎たちは。
別に早々に近づこうとは思ってなかったけれど、「お前らは同期なんだから」と本部長に言われてしまい、話す機会はほかの人間よりは多かったかもしれない。
周りからはだからか「ユンジョンハン、で、どう?」って聞かれることも多かった。
感想としては普通だった。豪華な見た目とは違い、仕事は堅実だったから。
自分のことが第一でほかのことなんて気にもしません......って感じの見た目なのに、周りの人間の名前は全部覚えてた。取引先は当然のこと、書類の元データをチェックしてくれたスタッフたちや、掃除のおばちゃんまで。
「仕事がデキるっていうよりは、コミュニケーション能力がハンパないだけじゃない?」
ジョシュアがそう言うのに、なるほどって思ったかもしれない。
本部長から聞かれてそんなジョシュアの意見をそのまま伝えたら、「まぁ、人誑しなのは間違いないな」と笑ってた。
だから「まさか、あの顔と身体で、仕事取って来てる訳じゃないよな」なんてことを言って笑う奴らもいたけれど、そんな噂話が聞こえてきても、ユンジョンハンはそれが何か?みたいな顔して働いていた。
一番最初に陥落したのはホシだったかもしれない。
エスクプスもジョシュアも思わず「いやお前、釜山野郎とか言ってなかった?」と聞いたほど。
でもホシはキッパリとしょうがないと言った。
「だってヒョンしょうがないよ。全然野郎って感じじゃないんだもん。俺のことも他の人のことも、出来ることは認めて任せてくれるし、ダメなところはちゃんと言ってくれるし、仕事を頼まれた時には何を求めてるかを教えてくれて、できればそれを超えて来てと、働きたいとも思わせてくれるんだ」
目をキラキラさせて、まるで仕事を覚えたての頃みたいに。
今は仕事を覚えてしばらく経つから、自分の実力を試せてもっと楽しいのかもしれない。
ユンジョンハンは、人を使うことが抜群に上手かった。転がされてると判っても、それすらも嬉しいと感じさせることができるほど。
それが仕事ができるということなら、確かにユンジョンハンは仕事ができただろう。
でもそれがそこまで有益だとは思えないと思っていたら、ユンジョンハンから遅れることキッカリ2日、釜山から後輩だというイジフンがやって来た。
小柄で不愛想に見えて、本当に不愛想で。
「おぉ、ウジや。お前仕事片付いた?」
そうテンション高くジョンハンが言ったのに、イジフンは頷いただけ。
昔支社に同姓同名がいたとかで、ウジと呼ばれているらしいとは聞いたけど、パソコンを準備すると後は黙々とキーボードを打つだけで、それ以外には何もしない。
でも明らかに仕事が動き始めたのはウジが来てからだった。
「よし、攻めに出るぞッ」とか。
「よし、寝るのは死んでからでいい」とか。
「よし、朝までに資料と稟議をセットで用意するぞッ」とか。
ユンジョンハンは元気よく無謀なことを言うけれど、それを聞いてもウジは驚くでもなく頷くだけで、朝にはほんとにいつの間に作ったんだっていう資料とかを出してくる。
しかもその資料の中で、「ヒョンが読めばいいとこだけマーカー引いてあるから」とか言ってるから、どちらかというと参謀はウジの方なのかもしれない。
「いや、お前が前に出て仕事した方が早いんじゃねぇの?」
ある時ホシがそう言っていたけれど、「ハニヒョンの方が俺より話を進めるのも巻き込むのも上手いから」と、いつの間に仲良くなったのか、ウジがちゃんとホシに答えてた。
社外的にはちゃんと先輩と口にするのに、気づけばホシもつられてジョンハンのことを「ハニヒョン」と呼んでいる。そしてホシが簡単に陥落したように、ユンジョンハンに陥落していく人間は多かったかもしれない。最初はそれこそ陰口を叩いてたような奴らだってそれは一緒で。
なんでかユンジョンハンは当然のような顔してそんな奴らにまで親切で、優しくて、声をかけていくからかもしれない。
「やー、なんでアイツは俺には声かけてこないの?」
もちろん仕事上の話はするけれど、「良くやった」とか「さすが」とか、皆にかけるような言葉は全くと言っていいほど言って来ない。
でもジョシュアは、「俺にも言って来ないから、認められてるってことじゃないの?」と飄々としてた。
「ヒョン、悪いけど、ここの攻め口が俺には詰めきれない」
ウジなんて、すぐにエスクプスを頼ってきてくれたってのに。デキ過ぎるぐらいにデキる無愛想な後輩が、判らないことを隠しもせずに真正面から攻めてくるのは思った以上に嫌じゃなくて、思った以上の熱量で応えたくなる。
でもまさかユンジョンハンがウジに、「アイツは真正面から攻めろ」とか助言をしてるだなんて知らなかったけど。
一つ企画が通ってあちこちで誰もが喜んでいた。
もちろん本部長やらもっと上の人たちも、機嫌よくやって来て寄せ集めの割にはよくやってると褒めていってくれるのに、ユンジョンハンだけは不機嫌だった。
その理由を、エスクプスは知っていた。
企画立案のところにユンジョンハンの名前が記される前に、そこにあった名前が誰だったかを知っていたからだろう。
産休に入るまではバリバリに働いていたその人は、今は時短勤務になって時折子どもさんが熱をだして休んだりする。今も昔と同じように誰よりも仕事に精通してるのに、どうでもいいような仕事を押し付けられていたりもする。
企画は全社員から受け付けるとユンジョンハンが告知を出した時に、一番多く企画を出したとも聞いた。
最初そこにはその人の名前があって、昼から開かれることの多い企画会議を、ユンジョンハンはその人の為に午前中に動かした。
もっとメインの仕事だけに専念できるように、資料集めやその資料をまとめたり分析する人員も配置した。どこにそんな時間があるのかは知らないが、フォローについたのはウジで、仕事は格段に早くなって内容もブラッシュアップされた。
なのに、どこで、そして誰が横槍を入れてきたのかは判らない。最初、名前は連名が良いと言われて、ユンジョンハンは自分の名前を次点に書いた。それからウジの名前をその次に。
最終的には本部長命令で、そこにはユンジョンハンの名前だけになった。
それはあっという間の出来事で、知る人間の方が少ないだろうけど、エスクプスが知ったのは、その人が自分に仕事を教えてくれた直属の先輩だったからだ。
その人は悔しいと言ったけど、それ以上に久しぶりに真剣に仕事ができて嬉しいとも言った。自分の腕が鈍ってなかったことも確認できたとも。
だから結局ユンジョンハンは誰からも恨まれることもなく、そこに自分の名前だけを書くことに成功したはずなのに............。
本気で悔しがって、普段はどんなことがあっても笑ってるのに、悔しすぎて泣きそうになっているその顔は、エスクプスの中に何かを生み出すには十分だったのかもしれない。
仕事は順調に進んでいく。
小さいトラブルは結構あったけど、それだって調整すればどうにかなる程度で、お互いのやり方を知る良い機会ってぐらいで。
ほとんど明かりが消えたフロアで、ウジが働いてる場所だけがいつだって明るかった。ユンジョンハンはその近くのソファで寝てて、ほとんどホテルに帰ってもいないようだった。
そして気づけば、「寝るのは死んでからでいい」とユンジョンハンが言えば、それに「オー」って同意する面子が増えていた。最初はウジだけだったのに、そこにホシが加わるようになり、気づけばミンギュまでそこにいた。
「いやお前、タスクフォースの面子でもないじゃん」
「そうなんだけど、俺が関係してる仕事とリンクしてたし、資料提供しただけなのにどこから手に入れたのか相手先の内部情報までお返しにくれて、俺ウハウハだから思わず手伝っちゃったんだよ」
タスクフォースに関係ない人間までも巻き込んで、仕事は順調に進んでいく。
結局ジョンハンは、人を使うのが上手いんだろう。相手に使われてもいいと思わせるんだから、問題なんて起こるはずもなく。
それなのになんでか自分だけはその仲間に入れてない気がしてた。
真正面から見れば視線を外されるような、でも伺われてるような、そんな感覚。
でも「なんだよ」って言うほどまだ距離は近くなくて、「俺のことちゃんと見ろよ」って言うほど気持ちはまだ整ってなくて。そんな感じで座り心地の悪い状態が、仕事とは別のところで続いてた。
「仕事が順調なら、何も問題ないだろ? それにどうせ、しばらくすれば釜山に帰るんだし」
ジョシュアはそう言って、居心地悪いぐらい気にするなというけれど、意識してしまえば気になるところばかりだった。
みんなで飲むという会に遅れて参加すればユンジョンハンは席を立つところだったり。
全員分を用意してコーヒーを差し入れれば、お礼は口にするのにコーヒーには口をつける様子がなかったり。
一度は直接食事の誘いを口にしたけれど、「いいな。仕事がうまくいったら、みんなで行こう」と微笑まれた。快諾に見えて明らかに断られた気がしないでもない。
ジョシュアにそう言えば、「脈なしってことだろ」って笑われた。
そんなつもりは..................。ないとは言えなかった。
仕事は順調に進んで、ウジが帰る段取りをはじめるっていう噂が経った。その頃にはデキすぎるウジの実力は誰もが知っていて、本社に残ったらどうかっていう声さえ聞こえててきていたのに、それを本人がふる無視してた。
そうしたらあろうことか、ホシが釜山支社への異動願いを出すという。
「だって俺、ジフニと離れたくないもん」
「お前バカだろ」
「バカで何が悪いんだよ」
離れたくないと思うほどに仲良くなったのも当然あるし、ウジが引いた線の上を爆速で走って行って仕事を片付ける楽しさを知ってしまったとも言うだろう。
それでもホシだって先の楽しみな後輩で、会社だって簡単には手放せないだろう。
でも結局ウジは釜山には帰らなかった。
なんでかミンギュが釜山に行ったから............。
「いや、何がどうなってこうなったんだ?」
「さぁ、確実なのは、お前よりミンギュの方がやることは早いってことだろ?」
驚いてただけのエスクプスをさらりと刺してきたのはジョシュアで、ジョンハンとウジがこっちにヘルプに来ている間に釜山でトラブルがあった時に、別の仕事のついでに一度だけ釜山に出張に行っただけのミンギュだったのに、釜山には何があるんだって本部長が叫んでた。
戻って来たミンギュがその日のうちに異動願いを出してきたからだろう。
しかも異動願いが無理な場合はこっちでと、一緒に退職願いも出してきたっていうんだから、さすがのジョンハンも「行動力半端ねぇなォイ」と言っていた。
まぁでもその横でウジが「いや、行動力以前に、うちのウォヌは一体何をやったんだ?」と呟いていた............。
ジョンハンとウジがいない間を任された男の手腕もまた凄いらしいと本社で噂になっていたけど、結局次の本部長が「次の異動時期には考える」と言ったのに、ミンギュは真正面から「待てません」と言ったとか言わなかったとか。
そのせいでエスクプスもジョシュアも仕事は増えたけど、ウジが結局残ることになったとホシは喜んでいたし、「なんでもデキる下を持つと、上は苦労するんだよ」とジョシュアは笑ってた。
引継ぎという名の、ほぼ投げ渡しレベルの仕事の量にキレそうになったけど、でも結局そのミンギュのおかげで、エスクプスはジョンハンとまともに2人きりで食事をする機会を得た。
「ヒョン、送別の品、期待してるから」
ミンギュにはそう囁かれたけれど、思わず頷いてしまったほど。
ユンジョンハンは、目の前に座った男の顔を見て、ちょっとだけ眉を潜めた。ミンギュが来る予定だったのが、エスクプスがそこにやって来たからだろう。
「ウォヌのことで相談があるって聞いてたんだけど」
「知りたいことは自分で聞くことにしたって、ミンギュが。金はもう払ってるからって。今回引継ぎで俺にも迷惑かけたから、2人でどうぞって」
「目に見えてあざといな」
自分でもちょっと言い訳臭いとは思っていたから、エスクプスも正直に「送別の品を奮発することにした」と言ってしまった。
「ウォヌは、真面目に見えるし、時折地味に見えるし、まともに見えるけど、あれでウジと張るんだよ」
食事をしながらユンジョンハンは、釜山にいる後輩のはなしを聞かせてくれた。楽しそうに時折自慢気に話すから、気に入っているんだろう。
そうは見えなくてもウジと張るっていうのなら、相当頭がキレるんだろうと言ったら頷いたけど、「でもな」と続ける。
「でもな。ウジよりも当然、俺よりもデカイくせに、時折子猫みたいな視線とか仕草とか見せて、庇護欲そそって来るからタチが悪いんだよ。無意識だって本人は言うけど、俺はあれ、無意識じゃないと思うね」
人を良く見てるジョンハンがそう言うなら、そうなんだろう。
なんだかミンギュの送別の品はもっと奮発してやろうかと思ったり。
でも「でもな」と、またジョンハンが続ける。
「でもな。あいつのことを捕まえたんなら、キムミンギュも相当なんだろうな。脇目もふらず、世間体なんて一切気にしないような男じゃないと、ウォヌとはやってけないと思ってたからな」
そうも言ったからちょっとだけ悔しくて、送別の品はちょっとだけ格落ちさせとこうと思ったり。
自分たちの話は何一つしてないのに、2人は後輩たちの話で盛り上がる。
誰かの恋路の話なんて、してる場合じゃないってのに。
ユンジョンハンは結構飲んだのに、この後も仕事に戻るという。
送ると言えば、「なんでだよ」って言われて、ガキみたいに「送りたいから」としか答えられずに、自分でもバカみたいだと笑いそうになる。
きっとユンジョンハンも笑ってる。そう思って視線をあげたのに、なんでか真剣な目とぶつかった。
そこらの女よりもキレイなその顔が真正面から見てくるのに、まだそこは店の中だってことすら忘れそうになった。
「遊びならごめんだけど?」
きっと飲み過ぎたんだと思う。自分も、ユンジョンハンも。
それとも楽しすぎたのか。この時間が終わってしまうのが、嫌だったから。
酒が入ってない時の自分なら、絶対に言えなかったかもしれない。
「遊びじゃないけど?」
なんて..................。
でもなんで張り合うようにそう言ってしまったのか、手を伸ばせば届く距離にユンジョンハンがいたからかもしれない。
遠くで見ても美人な男は、近くで見ても当然美人で、儚そうに見えるのに楽しそうに笑う。しかも、その目はずっと自分を見てるから、嬉しそうな顔で目で。
「俺、結構面倒な男だけど?」
エスクプスがそう言えば、ジョンハンは笑って「俺も負けてないけど?」って言う。
「さて」とか言いながらジョンハンが立ち上がるから、「仕事場、本気で戻るのかよ」って言えば、「まさかお前って、仕事と俺のどっちが大事なの? とか言うタイプ?」と聞かれた。
ちょっとだけ考える。でも、言ってしまうかもしれない。だって今も「仕事なんていいだろ」って言ってしまったから。
「あ、でもうちって、社内恋愛禁止じゃなかった?」
そのジョンハンの言葉に、結構本気で驚いた。
いや禁止じゃなかったとしたら、公開恋愛でもする気なのかよって思ったから。
「なに? 一緒の指輪とか時計とか、どうせならしたいじゃん」
そこでやっと、エスクプスはちょっとだけ冷静になって気がついた。きっとジョンハンは全然酔ってないように見えて酔ってるんだって。
それに引き換えエスクプスは、初めて酒を飲んだ日から一度たりとも記憶が飛んだこともなければ寝落ちしたこともない。父親も兄もそうで、父親はうちの家系は全員強いぞってのが自慢だったけど、こんな時は酔ってしまいたかった。
だって勢いでホテルとかに行って、目覚めてみれば隣りに誰かがいた............みたいな夢みたいなことが、起きるかもしれないのに。
「会社まで送る」
そう言えばジョンハンは笑って立ち上がる。フラついたりもしないから、手も伸ばせやしない。
でもその日、エスクプスはジョンハンと、はじめて手を繋いだけど。
戻って来た会社の中で、なんでかジョンハンが楽しそうに両手を広げてブーンってやりだして、「酔ってるじゃんお前」って言いながらエスクプスが手を伸ばせば、笑ってその手を掴んでくれた。
そこからずっと手を繋いだまま誰もいない会社内を移動する。
ウジがまだ働いてるところまで、その状態のままで。
「..................ハニヒョン酔ってるじゃん」
ウジが言葉を失いつつもそう言って、完璧呆れた感じで見てきた。
まぁそうだろう。仲良く男2人が手を繋いでて、しかもなんでか恋人繋ぎで、「ウジや~。俺、戻って来たよ~」となんでかジョンハンは機嫌はいいが、ウジにしてみれば戻って来られても......って感じだろう。
そしてウジから睨まれたのはエスクプスだった。
いやでも、それもしょうがないとばかりに「悪い。いや、仕事場に戻るって言うから」と、謝りつつも言い訳も口にする。
でもその手を離さないのはエスクプスだって一緒だから、ウジの目はお前も酔ってるのかって言ってるようだった。
「ハニヒョンのこと、ホテルまで送ってってくれます? すぐ近くだし、さすがにその状態でここで眠られてバレたら問題になるから」
「なんだよ、ウジや、ヒョンにいて欲しいって言っていいんだぞ」
「財布の中にホテルのカードキー入ってるけど、長期滞在者は指紋登録してるんで、指があれば入れるんで」
「照れなくていいんだぞ。ウジなら俺は、オッパって呼ばれてもいいぞ」
「全然休んでないんで、明日も休みで問題ないんで」
物凄い冷静なウジと、そんなウジに甘い顔をするジョンハンと、ちょっとだけ気まづいエスクプスと。
でも僅か数分で、話は済んでしまったから。
「ほら」
そう言ってジョンハンと繋がったままの手を引けば、ジョンハンは大人しく着いてきた。
それからまた、夜道を歩く。もう会社帰りの人間もいなくて、だからか手を繋いだまま。
ビジネスホテルにはフロントもあるけれど、もう人がいるような時間帯でもなくて、何かあればベルを鳴らせと書いてあるだけだった。
「なんだよ。送ってくれるんじゃなかったのかよ」
ホテルのロビーでエスクプスが立ち止まれば、ジョンハンが膨れっ面で文句を言う。
部屋まで送ったら、ちょっとだけ自分がヤバイ気がして、「ここで十分だろ。部屋までほら、1人で大丈夫だろ」って言えば、「あにゃ」って物凄い可愛い生き物みたいな声を出す。
「遠足は、ちゃんと家に帰るまでが遠足なんだぞ」
威張った感じでジョンハンは言うけれど、遠足なんかに出た記憶は全くない。
口の中で「ヤバイんだって」と言うけれど、聞いてないのか聞こえてないのか、「なんだよ~」ってやっぱり膨れっ面で文句を言う。
それほど身長だって変わらないってのに、下からわざわざ見上げてくるその顔も表情も声も全部カワイイってのに、部屋まで行けるはずがない。
だからその手を解いたってのに、今度は悲し気な顔で「俺のこと、やっぱり本気じゃないんだな」なんて言うから............。
で、結局、エスクプスは気づけばジョンハンのホテルの部屋にいた。
連れ込んだ訳じゃなくて、連れ込まれた側だけど。
酔っぱらってた訳じゃなくて、酔ってる人を介抱した側だけど。
押し倒した訳じゃなくて、押し倒された側だけど。
「いやお前、なんでそんなにキレイなの」
って言った自分の言葉に、「俺が知るかよ」って答えたジョンハンの声はそれほど酔ってるようにも聞こえなかったけど、たぶんやっぱり、酔ってたんだろう。
明け方、隣りでもぞもぞと動いたジョンハンが、「嘘だろぉい............」って言うのを聞いたから。
とりあえず寝たふりをしてたらその間に寝てて、起きたらジョンハンはいないかもって思ったのに、起きてもそこにジョンハンはいた。
どうやら開き直ったようで、「ちょっと確認するけど、俺たち付き合うことにしたから、こうなったんだよな」って言うのが起きた時に聞いたジョンハンの言葉だった。
たぶんずっと、何を言おうか聞こうか考えていたんだろう。
一瞬戸惑ったのが秒でバレて、ジョンハンがベッドに沈んでた。
「酔ってる相手にお前何してくれっちゃってんの? って言いたいけど、俺が押し倒した記憶がちゃんとあるわ............」
ベッドに顔をうずめたままで、ジョンハンがそんなことを言うから、思わず笑ってしまった。
酔ってても可愛かったけど、酔った翌日も可愛かったから。
「あらぬところが痛すぎるから、ふざけんなよって言いたいけど、気持ち良かった記憶もちゃんとあるわ............」
どっかのネジが飛んだのか、もう全部言葉にしてくれてるようで、心の声がダダ漏れだった。昨日、飲み始める前までは、あんなに距離を取られてた感があったというのに。
ぼやきながらも、「こんなに腰が痛くて、俺どうやって今日1日仕事したらいいんだよ」とか言うから、ウジが休みで問題ないと言ってたことを伝えたら、会社に寄ったことは覚えてなかったんだろう。ウジの前でも手を離さなかったことも正直に伝えたら、魂抜けたみたいな状態になっていた。
いやでも全部、可愛かったけど。
それからジョンハンは色々諦めたらしく、「起きるか?」って聞いたら「寝る」って言って、本当に寝始めた。
エスクプスは勝手にシャワーを浴びて、自分は休む訳にはいかないからと仕事に行く準備を整えた。
ベッドの上では真っ裸でシーツだけを身にまとってるジョンハンがいる。起こすかどうか一瞬だけ迷って、起こさずに出た。
メモも残さなかったし、カトクを送ったりもしなかった。
何も言わなくても平日なんだから仕事に行ったことは判るだろうし、仕事が終わった頃に連日になるけど食事にでも誘って、ちゃんと話そうと思ってた。
言い訳じゃなく、本当にそう思っていたっていうのに............。
遅い昼でも買いに行こうかっていう時間帯に、なんでか休みなはずのジョンハンに仕事場で詰め寄られた。
曰く、「お前、釣った魚にエサをやらないタイプなのかよ」ってことだった。
一応周りに気をつかったのか小声ではあったけど、仕事場にかなりラフな白いシャツとジーンズ姿で現れて、いつもと違う感じの美しさを振りまいてるもんだから目立たないはずがなくて、すぐに本部長にまでバレていたけど。
物凄いビックリしたけど、物凄い笑ってしまった。
あぁ、自分はちゃんと釣り上げてたのか......ってところに。それから、本当に面倒な奴だったのか......ってところに。でもやっぱり自分の方が面倒なんだけど......ってところにも。
「昼に行こう。俺まだ食べてないから」
そう言って席を立てば、不機嫌を隠しもしないのにとてつもない美人が、エスクプスの後ろをついてくる。
凄い地味な雑多な感じの店と、個室になってるちょっとお高めな店と、何か買ってホテルに帰るのと、その3つを提案したら、「一番旨いの」って返事が来て、それが飾らなくて嬉しくなる。
見た目は雑多だけれど味には定評があって、エスクプスはジョシュアと常連と呼ばれるほどには通ってた。だからおばさんが、何も頼まずにエスクプスの前には辛くないおかずを並べていってくれる。
ジョンハンには自分の好きなものを頼めばいいと言ったのに、「お前のでいい」って言いながら、エスクプスの前のおかずを勝手に食べ始める。
見た目に反して、ジョンハンは良く食べた。
まぁ体力を使ったからかもしれない。でも美味そうに食べるし、雑多な店の中で1人輝いてたって気にせずに、店のおばさんにも愛想よくしてた。
「ちゃんとエサ、やるタイプだって」
食べながらもそう言えば、怒りを思い出したのか「なんで勝手に出て行くんだよ」とか、「お前も一緒に休めば良かっただろ」とか、文句を言いつつもしっかり箸を動かしていた。
食べ終わる頃、何か適当につまむものを買ってホテルに戻ろうって話になっていたのは、どっちの差し金かは判らない。なんだかもうエスクプスだって楽しくなっちゃったからだし、「悪ぃ俺半休」って、早々にジョシュアにカトクをしていたから。
さすがに昼間だからか、それとも酔っぱらってないからか、手を繋いで歩いたりはしなかった。でも歩く距離が、自然と近かったかもしれない。
ホテルの中は、もう少し片付けられているかと思ったら、朝のまんまだった。ベッドもその横のあれやこれやを捨てたゴミ箱だって全部生々しく。
だからなんとなく、ジョンハンが追いかけて会社まで来たのが判った気がした。ホテルの部屋と同じように、一緒に自分までもが打ち捨てられたような気がしたのかもしれない。
本当は「ごめん」って言うつもりだったのに、その部屋を見渡した後にエスクプスが口にしたのは、「俺たち、ちゃんと付き合おう」だった。
ジョンハンはその言葉に驚いていた。
驚かれたことに以外だと思ったけど、ジョンハンが愕然としながら口走った次の言葉に、驚いた理由は別だったことを知る。
「いや待って、じゃぁ俺たち、まだ付き合ってなかったの?」
ってジョンハンが言ったから。
付き合ってないのにそんなことをしたのか......ってところが、ジョンハンには大事なことらしい。
だから「いや、付き合ってるけど、素面な時にちゃんと言った方がいいと思って」と慌てて嘘をつけば、ジョンハンはあからさまにホッとした様子で、「別にいいけど」って言う。
たった1日しか経ってないのに、もうそれがジョンハンの照れ隠しだと気づいてしまったら、可愛いでしかなくて、そこにも気づいたら、もう手放せそうになかった。
「なんだよ。それならそうと言ってくれれば、俺、腰痛いのにわざわざ会社まで行かなくて良かったじゃん」
そう言いながら、ベッドに倒れこんでいくジョンハンは、天真爛漫にしか見えないのに不安だったんだろう。
やっぱり「ごめん」って言いかけて、でも飲み込んだ。
「でも、あんな風に会社に来たら、すぐに公開恋愛になりそうじゃん」
ちょっとだけふざけたつもりで言ったのに、ジョンハンは「そんなの、ウジにバレた時点でもう諦めてるよ」とか言う。
口が軽いって訳でもないから不思議な顔をすれば、「だってアイツは目がもう語るじゃん」とか難しいことを言う。
「そんなの、判るのお前だけだって」
楽しくなって笑えば、「いやバレバレだって」ってムキになってウジの特徴を教えてくれるけど、やっぱりかなり長い付き合いでもなければ判らないだろう。
「あぁでも、俺もシュアにはバレる自信あるわ」
そう言って、なんでか酒も飲んでないのに2人して「俺らダメダメじゃん」って笑いあった。
翌日には普通に働いた。
別に誰かに何かを言われることも、当然ながら誰かにいきなりヒューヒューとか言われることもなく、変な視線を感じることもなく。普通に忙しく過ごしたかもしれない。
変わったことと言えば、「昼食った?」っていうカトクがジョンハンから届くようになったこと。
時間が合えば一緒に昼を食べる。あわなければ「帰りにアイスコーヒー買って来て」ってお願いされる。
夜は仕事が片付いてたら一緒に食べる。
時々はホテルに泊まる。
それから時々は、エスクプスの部屋にジョンハンが来る。
もっと甘い雰囲気になるかと思ったけど、案外普通に過ごしてる。
そう言えばジョシュアから、「いや、お前らデロッデロに甘いけどな」って言われたから、気づいてないのは本人たちだけかもしれない。
最近、「なぁ、なんでお前、俺の事だけなんとなく無視ってたの?」って聞いたらジョンハンが「そんなことねぇわ」って言いながらも顔を赤くしてた............。
だから「なぁ、俺の事、いつから好きだったの?」って聞くのに、「知らねぇ」って言って答えてくれない。
「教えろよ」「知らねぇよ」「教えろって」「煩い黙れ」と言いあっていたら、「そこのバカップル、邪魔だから帰れッ」とウジに仕事場を追い出された。
社内恋愛は、案外楽しい............。
The END
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