店の中、中央にデカい鳥籠があった。
鳥なんて入れたことはない、何ヶ月か前に店のオーナーが気に入って買ってきて、そこに置いた。それからは毎月売り上げトップになると、月末に豪勢にそこに華や写真が飾られるだけ。
なのに今そこにいるのはジョンハンだった。
しかも私服のままで、笑顔も見せずにただ黙ってそこにいるだけ。
「アイツ何してんの? しかもなんでめちゃくちゃ怒ってんの?」
遅れて店に入ったから、エスクプスは事情が全く判らなかった。でもひと目見てジョンハンが不機嫌を通り越して怒ってることはすぐに判った。
「怒ってる? なんか、哀しそうじゃない?」
付き合いが長いくせいにジョンハンを理解できてないのかドギョムはそう言うけれど、「いや、あれはもう完璧怒ってるって」ってエスクプスは断言した。
そこは一応ホストクラブだったから、お客さまに笑顔を振り撒いてなんぼだっていうのに。
「ヒョンごめん。俺のせいなんだ」
ホールであちこちに氷を運んだりグラスを取り替えたりとヘルプに忙しそうなディノが、エスクプスを見つけて近づいてきた。
ディノもまた怒ったような表情をしてたけど、これはもう完璧に凹んで困ってて、自分が許せなくなった時の顔だった。
「どうした?」
「お客さまがアイス食べたいって。コンビニで今限定で売ってるヤツ。だから俺が走ろうと思ったんだけど、あちこちバタバタしてたらハニヒョンが行ってくるって言ってくれて」
聞けばディノの代わりにジョンハンが遣いに出たって話だった。年間で言えば確実にNo.1で、毎月で言えばNo.3までには確実入ってるような男なのに、威張ったりしないし案外腰が軽いし、弟たちを大切にしてるし、だからそれを聞いたって不思議だとは思わなかった。だいたい、コンビニだって近いし。
「でもたまたま、ハニヒョンが戻ってきた時に副社長が来ちゃったんだよ。それで先月に続いて今月もトップに立たないつもりかって言われて」
なるほど。頑張れば常にトップに立てるのに、ジョンハンは1番をわざわざ狙いに行くことなんてほとんどない。誰かが誕生日だったら自分の売上を簡単に差し出してしまうぐらいだし。
でも絶対的エースが必要だと考えてる副社長としては、そういう訳にもいかなかったのかもしれない。
「でもそんなことぐらいで、ハニがあんなに怒るか?」
そう言えば、「副社長が言ったんだよ。ジョンハンの売上が落ちてるのは、ヘルプにつかせてるディノのセンスの問題じゃないかって。使えないなら切って、もっと使えるヤツを使えばいいだろって」と、ディノは言いにくいだろうからと教えてくれたのはドギョムだった。
確かにディノはまだそんなに酒も強くないし、気のきいたことも言えないし、咄嗟の対応力だってまだまだで、渾身のボケは気づけばウォヌしか笑ってなかったりする。
その副社長の言葉はディノ本人にも聞こえていて、怒りと恥ずかしさと申し訳なさで、ディノの顔は真っ赤になったけど、それでもグッと堪えて「すみません」ってディノは誰にも迷惑をかけないようにと頭を下げた。
だからそこで話は終わるはずだったのに、「は?」って、副社長相手だってのにキレたのはジョンハンで、「売上を叩き出せば文句はないだろ」って言って、まだ私服のままだというのに、店の中央にある鳥籠の中に自ら入ったジョンハンだった。
ご丁寧に鍵までかけた。それからその鍵を鳥籠の外に捨てる。
店にいた客たちは一様に驚いていたけれど、ジョンハンの姿があまりにも儚げで哀しげで、何も言えなかった。
別にジョシュアだってトップを取りたいと思ってる訳でもないけど、今月トップを走ってるのはジョシュアだった。そのジョシュアがジョンハンを見て苦笑してる。
お客様を前に笑顔を崩しはしなかったけど、副社長と何かがあったのは判ってた。ディノの表情から、何か言われたんだろうってことも。
鳥籠の中で、ジョンハンが俯いたまま、立ち尽くしてた。
あぁこりゃきっと、トップの座はあっさりと覆されるだろう。
そのジョシュアの予想通り、ジョシュアの馴染みの客がジョシュアに謝ってくる。
「大丈夫ですよ。皆さんの好きにしてください」
そう言えば、客が黒服を呼ぶ。
普段はカウンターの中から滅多に出てこないのに、なんでか金の匂いがすると確実に出てくるウジが、「ご用ですか」ってニコヤカに聞いてきた。
「ハニちゃんに、シャンパンを」
そう言って、滅多に出ないシャンパンの注文が入る。
「ありがとうございます。ユンジョンハンに、ドンペリヴィンテージ1本いただきました」
ウジが声を張りながら、店の奥に注文を通す。
滅多に頭も下げないウジが、そのまま深く腰を折るから。
それを見て聞いてしまえば昔から通ってくれてる客たちは、こぞってユンジョンハンに注文をし始めるだろう。それが判っていたからこそのウジは声を張ったんだろうけど。
「ヤバイぞこれは」
それを見てたエスクプスが言う。
「え? 何が?」
この仕事も長いのに、相変わらず鈍いドギョムが普通に聞いてくる。
「そのうちシャンパンタワーが出まくるぞ。今日は死ぬ気で飲むはめになる」
「え? マジで?」
エスクプスの予想は的中で、結構早い段階で、ウジの「ユンジョンハンにシャンパンタワーいただきましたッ」って声がフロアに響く。後はもう、次から次へと続くシャンパンタワーに、店の中はちょっと異様な空気になったほど。
そうしてあっさりと、ジョシュアはジョンハンにトップの座を奪われた。まぁでもしょうがない。どうしたってこの店に足を運ぶお客様たちは、ほとんどの人がユンジョンハンを通り過ぎているんだから。
「ほら、そろそろお前、出てこいって」
エスクプスが鳥籠の中のジョンハンに話しかければ、「ディノは使えなくなんてないからな」とまだ不機嫌なままのジョンハンが言う。
「そんなの判ってるよ。それに、これじゃぁトップどころか月の売上の最高金額を更新するんじゃねぇの? 副社も文句なんて言わねぇだろ」
そう言えばやっと「じゃぁそろそろ出てもいい」とかジョンハンは言ったけど、結局それからもまだ、ジョンハンは鳥籠の中から出られなかった。
それは鳥籠の外に投げ捨てた鍵を見失ったから。
あちこちで高額な酒が開けられすぎて、酔いがいつもよりも全員に早く回ったからか、誰かが落ちてた鍵を蹴り飛ばしでもしたのかもしれない。
「ま、自業自得だろ」
エスクプスが笑えば、「トイレ行きたくなったらどうすんだよ」とジョンハンがムクれてる。
そんなジョンハンに、良く出来た黒服のウジが「ヒョン、これにしていいよ」と特大シャンパンの空き瓶を渡す。
それは店の飾りだと誰もが思っていたヴーヴ・グリコで、きっと3回ぐらいはトイレにいかなくても大丈夫そうな大きさだった。
「ヤーッ」
ジョンハンはまた怒っていたけど、今度は誰も聞いてなかった。
店は今日も、賑わっていたから。
The END
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